平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #133

「死のマネジメント」~堂々と生きないことこそ不幸である

 

日本人は、人が亡くなると「不幸があった」と言う。しかし、死は決して不幸な出来事ではない。なぜなら、死なない人間はいないからだ。必ず訪れる「死」が不幸なら、どんな生き方をしようが、人の人生そのものも結局は不幸であり、敗北で終わることになる。
リーダーたる者、いたずらに「死」を不幸だと決めつけて怖れてはならない。それよりも、この「生」において何をするかが大切だ。そして、堂々と生きることが大切だ。
坂本龍馬は、「世に生を得るは事をなすにあり」との言葉を残している。「死」についての考え方は、「牛裂きに逢ふて死するも磔に会ふも、又は席上にて楽しく死するも、その死するにおいては異なることなし。されば英大なることを思ふべし」という言葉によく現われている。牛裂きや磔の刑で死のうが、宴席で楽しく死のうが、死ぬことには変わりはない。それなら、堂々と死にたいものだというのである。龍馬は、「死ぬときは、前のめりになって死にたい」と生前語っていたそうだが、いかにも彼らしい。
世の変革に働く者は、天の命を受け、天からさしくだされた男なのであり、たとえ路傍で闘死しようとも、魂は天に帰る。龍馬はそう信じ、手帖に「われ死する時は、命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」と記している。
龍馬もカエサルも、最後は暗殺されたが、堂々と生きた人だった。カエサルは、かのアレクサンダーをこよなく尊敬し、自身の大きな目標としたという。そのアレクサンダーとほぼ同時代の中国には秦の始皇帝がいた。東西を代表する人類の大英雄だが、その死に方は対照的だ。
始皇帝は「死ぬ」というのを非常に嫌い、家来たちにも「死ぬ」という言葉を決して口にさせなかった。始皇帝は不老不死の霊薬を徐福らに探し求めさせたことでも知られる。それほど死を怖れ、死から逃げ回った生涯だったが、とうとう河北省の沙丘というところで、死の恐怖にうちまみれながら死んでいったのである。
一方、いつも戦いでは最前線に出て行ったアレクサンダーは「死」を怖れなかった。ギリシャとペルシャの両民族の合一を祈る大祝宴を開催してバビロンに帰った彼は、アラビア遠征の準備中に熱病で倒れた。容態が悪化したとき、別れの挨拶をするために列をなした兵士たちがベッドの脇を通りすぎた。すでに衰弱して口もきけないアレクサンダーは会釈を返し、うなずいたり、手を上げたり、まばたきしたりして、一人ひとりに幸運を祈った。まだ後継者が決まっていないことを案じた側近たちが、「誰に王位を譲りたいか」と尋ねると、彼はかすかに「最も強い者に」と答え、それから息を引き取った。享年32歳であった。カエサルがこよなく憧れたアレクサンダーは最後の瞬間まで王らしく生き、王らしく死んでいったのである。