平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #086

「驚のマネジメント」~退屈している心を目覚めさせる

 

私は、人を驚かせることが子どもの頃から大好きだった。いつも、親や弟や友達を驚かせようと、変装してみたり、隠れていて突然現われたりした。長じて会社の社長になっても、この癖は治らない。社員へのスピーチの際には必ず、何らかのサプライズを入れることにしているし、忘年会や新年会では、打ち合わせなしのコスプレでみんなを仰天させる。
最近、吉田松陰についての本を読んでいて、松陰があれほど多くの塾生を集め、かつ彼らに影響を与えることができたのかを考えたとき、「驚き」というのが一つのキーワードではないかと思いついた。
松陰は学問の心得として、「学者になってはならぬ、人は実行が第一である」と常に塾生に説いていた。そして自身も、この教訓を実践してきた。脱藩して東北を遊歴したり、アメリカ密航を企てたりといった一見、血気にはやったような危険な行動も、若い塾生たちにとっては、血湧き肉踊る武勇伝であり、冒険談であった。それは講談や紙芝居もかなわないエンターテインメントであったとさえ言えよう。萩以外の世界を知らない塾生たちの多くは、松陰の話に大いに驚き、その話を窓として、そこから広大な世界を見ようとしたのである。現代で言うなら、パスポートを持たずに世界中を飛び回ったとか、宇宙からやってきたUFOに乗ろうとしたという話に匹敵する。そんな物凄い体験を重ねている本物の英雄が松陰であり、少年たちは心から憧れ、深く尊敬の念を抱いたのであろう。
私は、人間の心は驚きを必要としていると思う。人はときどき衝撃を受けて、特に自己に衝撃を受けて驚き、目が覚める、目を覚ますということが最も大切である。退屈とは、案外いけないことなのだ。人間の生命というものは、慢性的、慣習的、因襲的になると、たちまちだれてしまう。これにショック療法として、ときどき衝撃を与えないと生命は躍動しないのである。
世の中にはなぜ、文学や哲学や美術や宗教といった精神の営みの世界があるのか。それは、その日その日の生活に追われて、心を失ってしまう、人間が人間であることを失ってしまいやすい時に、はっきりと目を覚ますためである。プラトンやアリストテレスは「哲学は驚きにはじまる」と言った。よく驚くということこそ、人間の本質的な要求である。安岡正篤は、この驚くという人間の一番尊い要求が、次第に信仰や学問、芸術などの尊い文化を生んだのであると述べている。