平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #123

「歌のマネジメント」~組織の連帯感を編み出す一例

 

歌というものを見直す必要がある。
戦国史研究の第一人者である静岡大学教授の小和田哲男氏によれば、和歌や連歌は戦国武将たちの教養として欠くべからざるものであったという。加藤清正などは、武士があまりに和歌・連歌に熱中してしまうと、本業である「武」の方がおろそかになってしまうことを警戒していたぐらいだったという。
北条早雲は、「歌道を心得ていれば、常の出言に慎みがある」と述べたそうだ。
和歌は五・七・五・七・七の三十一文字、連歌は五・七・五の上の句と、七・七の下の句の連続で、いずれにしても、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければならない。早雲は、そうした鍛錬が、日常の何気ない言葉にもあらわれるとみていた。言葉に対する感性や表現力を育てるのである。
歌心があるかないかで、その人に「品格」や「情」があるかないかがわかるという考え方は昔からあった。徳川家康は何人かの家臣たちと雑談していて、話が源義経のことに及んだとき、「源義経は生まれつきの大将ではあるが、歌学のなかったことが大きな失敗だった」と言い出した。家臣たちは、「義経に歌道がなかったというのは聞いておりません」と家康に言うと、家康は、「義経は、〝雲はみなはらひ果たる秋風を松に残して月を見るかな〟という古歌の心を知らなかった。そのために身を滅ぼした。平家を少しは残すべきだったのだ」と答えた。
家康は自分で詩作をするのは苦手だったようだが、よく読んで勉強はしていたと思われる。そして、古歌をただ教養として学んでいたのではなく、自身の生活態度、さらに政治・軍事にも応用していたことがわかる。家康にとって歌学は、生きた学問だったわけだ。
また、連歌の場合はもう一つの意味があり、「出陣連歌」といって、合戦の前に連歌会を開き、詠んだ歌を神社に奉納し、戦勝祈願をするためにも必要だった。「連歌を奉納して出陣すれば、その戦いに勝つことができる」といった信仰があったのである。
連歌の場合は連衆といって、何人かが車座になって上の句と下の句をつなげていくわけで、明らかに「輪」の文化と呼べるものだ。「輪」は「和」に通じ、家臣団の意思統一につながっている。そして、それは、和歌・茶の湯についても同様だった。「輪」すなわち「和」の文化は、コミュニケーションを強化する機能をもつことは言うまでもない。
リーダーのコミュニケーション力は、情報を伝えることよりも、ある組織文化の中で一体感、親近感を生み出すために役立つことが求められる。特に五・七・五・七・七のリズムには、人間の心の奥底にまで届くような魔術的な要素がある。会社の使命や志などを詠み込んだメッセージ性のある歌をみんなで繰り返し唱和すれば、あたかも「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えるような宗教的で荘厳な雰囲気さえ生じ、そこに強い連帯感が生まれる。
和歌や連歌などという日本文化を今、大いに見直す必要があろう。