平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #043

「望のマネジメント」〜人望と展望を求めて人は集まる

 

 あらためて言うまでもないが、組織や集団において重要なのは、才能、能力よりも、人柄、性格の良さである。すなわち、リーダーとしてふさわしいのは、優れた能力の持ち主よりも、人望のある人物である。
人望のある人とは、温かく人を包む雰囲気を持ちながら、厳しい一面があり、圧倒するような威厳がありながら、優しさを秘めている人である。こんな人が、誰からも信頼を寄せられ、慕われるのは当然である。
西郷隆盛は、とにかく人望のある人だった。西郷は、幼なじみでしかも二人とも明治維新の立役者ということもあって、大久保利通とよく比較される。西郷に人気があり、大久保に人気がないのは、大久保に暗さや陰湿さといったものが感じられるのに対し、西郷には大らかさや包容力が感じられるからだろう。
明治6年(1873年)の征韓論争のとき、西郷は参議を辞して故郷の鹿児島に戻ったわけだが、むしろそこから人気は高まっていったようである。明治10年(1877年)の西南戦争のとき、西郷と行動を共にしたのは旧薩摩藩士のみならず、他の藩士だった者もかなり合流していた。その一人の中津藩士・増田宋太郎は、西郷隆盛最期の戦いとなる城山までついて行き、西郷ともども強烈な戦死を遂げているが、西郷に最期までついて行こうとする心境を、「吾、此処に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」と言っている。西郷の人望がいかなるものであったかがわかるような気がする。
司馬遼太郎は、人望家について、大作『翔ぶが如く』に書いている。士族にしても農民にしても、藩といったような緻密で堅牢な封建組織が雲散霧消してしまうと、殻を失った剥き身のヤドカリのような心細さを持ち、そのくせ「官」という新たに出現した重量については違和感のみを感じて、そこから逃れたくなってしまう。そういう自分たちに方向を与えてくれたり、居場所を決めてくれたり、ときに死に場所をつくってくれるのが人望家であった、と。
そして、人々はリーダーにビジョン、すなわち展望というものを求める。いつだって、優れたリーダーとは未来を読み、人々に将来の展望と夢を語ってきた。彼らがつくった企業はビジョナリー・カンパニーと呼ばれ、長らく繁栄を続けている。もともと人望があって、かつ確たる展望を持った人物こそ、真のリーダーにふさわしいと言えよう。