平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #006

「忠のマネジメント」〜すべての人に良心で接し、誠を尽くす

 

「忠」とは、その字が「心」と「中」から成るように心の中心、つまり真心や誠意のことである。
わが国の江戸時代において、忠とは、あくまで自分の仕えている殿様に対して真心を尽くすことであった。「忠臣蔵」にあるように、わが殿様を侮辱する他の藩の人間がいるならば、同じ日本人であっても、この忠という名のもとに殺してもよかった。
しかし未だ「忠臣蔵」の人気は衰えないとはいえ、内蔵助の行為は結局、自分のボスの復讐に徒党を組んで共謀して殺人をした、と現在の常識では言わなければならない。ここでは忠という徳目が、限られた一つの藩の殿様のために尽くす態度としているのである。
この忠が、明治維新以後どうなったかというと、当時の先進諸国と同じように、忠とは国に対するもの、国家全体に対する忠、あるいは天皇に対する忠というように変わっていった。そしてそれは、同じ日本人であっても藩が違えば殺し合う、というような忠よりは進化しているように思われる。
しかし現在、もし国家間や民族間の問題が生じた場合、忠という名のもとに日本人以外の民族なら殺してもいいということになれば、誰でも疑問を抱くだろう。どこの国にも共存の思想は出てきているし、忠すなわち忠義や忠節という徳は、市民として忠良であるとか、あるいは企業や学校など、自分の所属する団体に対して忠実に務めることであると考えたり、あるいは上司や先輩や友人に対して忠実であるというふうに使われるようになってきた。
これを見ると、わずか3、400年前の考え方が、最近の100年、50年のあいだに、この忠という徳目がどれほど改革されてきたかということがわかると、倫理学者の今道友信氏は述べている。
このように徳目について改革が認められるなら、それなら新しい時代ほど優れているかというと必ずしもそうではない。そうではないところに人間が自覚して、いつの時代でも自分を律していかなければならない理由がある、と今道氏は言う。
この忠というコンセプトが最初に考えられたとき、人々は何を考えていたか。忠は『論語』の中にある徳目であり、曽子という孔子の高弟の一人が、忠について「我日に三度己を省る。人に諮りて忠ならざりしや」と言っている。
ここでの人とは、すべての人である。目上や所属団体というように、何か自分より上位の存在に対して忠実であるという考えではなくて、およそ人ならば誰に対しても心の中心から、つまり誠から接しなければならないというのである。すべての人に誠を尽くしているかどうかを反省してみようという、そういう非常にヒューマンな考えなのだ。
だから孔子の時代、忠とは他人に対して、それが目上であろうと、目下であろうと、あるいは異民族の者であろうと、およそ人であるならば、真心から接する態度と考えられていた。忠の本来の意味とは、人に対する誠実さ、対人的なシンセリティの自覚なのである。
それが年を経て、いろいろと改悪されたり改良されたりしながら今日に至っているということを考えてみると、その前から誰がつくったかわからない忠という考えがあり、初めて忠なるコンセプトを明確な徳目として立てた孔子のときに、道徳的な飛躍があり、進歩があった。それが封建諸侯に悪用され、御用学者に悪用されたという時代があって、さらに小さくなれば、同胞でも殺し合うような小さな組織への忠義というようなことになり、そして今、それは市民社会に対する忠実になってきたのである。
今道氏は述べる。日本語の「忠」一つを考えてみても、道徳、徳目とは決して保守的なものではなくて、改悪、改善の歴史を担っているものである。しかし、忠の原義をまた取り返してこなければならない。私たちは再びもとに返って、目上であろうと、同輩であろうと、目下であろうと、よその知らない人であろうと、およそすべての人に対して真心を尽くしているかどうかという誠実の内的基準、そういう問題として忠を考えていかなければならないのだ。
日本語あるいは漢字の忠は、英語ではロイヤリティ(loyalty)に相当する。ブランド・ロイヤリティなどの言葉がマネジメントやマーケティングの世界で使われることも多い。しかし、企業やブランドなどの人間でないものに「忠」を言ってよいのかどうかは考える必要があるだろう。
マネジメントにおける忠とは、何よりもまず顧客つまりお客様に対する忠であろう。ドラッカーの言うように、マネジメントの目的とは顧客の創造に他ならないが、その創造された顧客に対して徹底的に誠を尽くすこと。それは、とりもなおさず、顧客の期待とおりの、あるいは期待を上回る商品やサービスを提供することである。つまり真のブランド・ロイヤリティとは、顧客がブランドに対して忠なのではなく、ブランドを創造する人々が顧客に対して忠であることでないだろうか。結局は、人間と人間の問題なのである。
そして、何より忠を忘れてはならないのは、経営者である。お客様はもちろん、社員、その家族、取引先や株主といったステークホルダーの人々などなど、考えてみれば経営者ほど、あらゆる人に対して真心で接し、誠を尽くすべき存在はないのである。