平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #068

「大のマネジメント」~心の巨大さと偉大さを自覚する

 

西郷隆盛という人は、とにかく大人物であったらしい。自身も大物ぶりを発揮したあの坂本龍馬でさえ、「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く。馬鹿なら大馬鹿だし、利口なら大利口だ」と西郷を評している。
人物が大きいというのは、いかにも東洋的な表現だが、明治も終わったとき、ある外務大臣の私的な宴会で、明治の人物論が出た。司馬遼太郎の『坂の上の雲』にこの場面が出てくるが、「人間が大きいという点では、大山巌が最大だろう」と誰かが言うと、「いや、同じ薩摩人ながら西郷従道のほうが、大山の五倍も大きかった」と別の人が言ったところ、一座のどこからも異論が出なかったという。もっとも、その席に西郷隆盛を知っている人がいて、「その従道でも、兄の隆盛に比べると月の前の星だった」と言ったから、一座の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
もちろん、その巨体やアーネスト・サトウを感嘆させた大きな目などの肉体的特徴もあっただろうが、西郷隆盛の巨大さは彼の心の大きさに由来した。「敬天愛人」を座右の銘にしたごとく、彼は常に「天」というものを意識しながら生き、行動したのである。
人間の心の大きさに気づかなければならないと訴えたのは、中村天風である。彼は、果てしない大宇宙よりも人間の心のほうが偉大であるとした。月を見て佇めば、心は見つめられている月よりも、さらに大きいと考えられる。星を見て佇んでいるときに、その星を見て考えている心の中は、大きなものを相手に考えているのだから、それだけで、星以上に大きなものではないか。いかに人の心が一切をしのいで広大であるか、ということがわかってくるはずだと天風は力説した。
松下幸之助は、こう言った。「人間は偉大な存在やな。いわばこの宇宙においては王者やな。こう言うと、それは不遜や、傲慢やと、そう言う人も多いと思うけど、しかし、わしは理屈はようわからんけど、現実の姿を見れば、明らかにそういうことが言えるんと違うか。この宇宙のなかで人間が一番偉大であると」そして松下は、偉大な力は使い方によって、大きな善にもなり大きな悪にもなるとして、人間の偉大さを自覚することの重要性を説いたのである。
私たちの心はあまりにも巨大かつ偉大だ。ならば小さなことにクヨクヨせず、大きな志を抱き、大きな夢を持とうではないか。