平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #021

「友のマネジメント」〜山の頂で再開することを誓いあう

 

ローマの雄弁家キケロは「そもそも人生から友情を取り去ってしまうなどとは、太陽をこの世界から取り去るというものだ」と語り、フランスの作家ロマン・ロランは「私は世界に二つの宝を持っていた。私の友と私の魂と」と言った。
友人とは人生というマラソンを走る頼もしき伴走者であり、友情なき人生など何と空しいものだろうか。しかし、世の中には友情というものをはき違えている者が非常に多い。つまり、頻繁に会って、酒を飲んだりゴルフをしたり、合コンの常連になったり、果ては風俗で女遊びを一緒にしたりすることが真の友情だと勘違いしている者がいる。
「君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)の如し」
とは荘子の言葉である。立派な教養のある人の付き合いは、淡々として水のようだが、いよいよ親しみを増していく。だが、普通の人は甘い交わりをしていても、すぐ絶交してしまう。たいした理由もなく付き合っている者同士は、ちょっとした理由でたちまち離れていく。小人は利害の状況によって交わったり、離れたりするというのである。
たしかに、友情が育つかどうかは、交わりの濃さではない。毎日のように会っていても、心から信頼しあえる友になるとは限らないし、数年離れていても、信頼関係が保たれ、親友として互いを認めあっている者同士もいる。
だいたい、友人同士でいつも群れたり、つるんでいる男に一流の男はいない。本物の男とは群れないものだ。その心中に大なる志ある者は、それゆえに孤独をも心中に抱えている。その志が大きければ大きいほど、いかにして果たすべきかを考えると途方に暮れることしばしばであり、とても他人と群れて遊んでいる暇などない。しかし、そういう男は強烈な魅力を発散するという。作家の山口洋子氏は「群れる男は、絶対に女にはモテない」と名言を残しているが、女にモテるというのは人間的魅力があると言い換えてもよいだろう。
友人の多さを誇る馬鹿が時々いるが、そんなものは何の自慢にもならない。アリストテレスは「多数の友を持つ者は、一人の友をも持たない」と言った。特に若い頃の群れというものは暴走することがありがちで、その名の通りの暴走族だってダチが多いし、あのスーパーフリーなる前代未聞の鬼畜集団だって友人がたくさんいた。大学の体育会といえば男らしさの代名詞のように言われるが、飲み会で盛り上がって一気飲みをした結果、急性アルコール中毒で死者が出たり、集団強姦に及ぶといった事件が時折、新聞や週刊誌の紙誌面をにぎわせる。
結局、群れる人間というのは自立していないのだ。そのため自信がなく、群れることによって不安を紛らわせるのである。でも、人生に友は必要だ。それでは、どのような友が必要なのだろうか。
ブッダは、善き友を持つように弟子たちに願ったという。ブッダの言う善友はまた親友であり勝友(すぐれた友)である。それはいわゆる酒飲み仲間やゴルフ連れのような交わりではない。人生に対する正しい生き方を求め、互いに励まし合い、教え合い、忠告し合う間柄が真の友なのである。したがって、友には年齢や性別や知識や先輩や後輩などの区別はない。ともに手を取り合って同じ向上の道を歩く仲間、いわゆる僧伽(サンガ)である。サンガは「親友の集まり」であり、そこにおいては師と弟子との間もまた親友の関係だから、ブッダはよく弟子たちを「友よ!」と呼ぶのである。そして善友や親友が欲しければ、次の「善友の七事」に励むように言ったという。
すなわち、一、苦しみにあって捨てない。ニ、貧賤であるからととて軽蔑しない。三、お互いに隠し合わない。四、お互いにかばい合う。五、為しにくいことをする。六、お互いに与えにくいものを与える。七、お互いに忍びがたいことを忍び合う。
すべて納得のいく普遍の真理であろう。『論語』には「直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、有益なり」という孔子の言葉が出てくる。正直・誠実・見聞の豊かさが良き友の条件だというのだ。高杉晋作は「友の信を見るには、死、急、難の三事をもって知れ候。」と書簡に書いている。
私には、数年に一回しか会わない親友が二人いる。いずれも、私と同じ大学の同じ学部の出身である。一人はゼミが一緒で、卒業後はベンチャービジネスを始めた。現在は全国にスタイリッシュな生花店を展開する会社を経営している。
もう一人はサークルが一緒だった。卒業後は世界有数の証券会社に入って出世コースを歩み、現在はシンガポール支社長を務めている。
二人とも学生時代は毎日のように会って、酒を飲んだり、議論を戦わせたり、将来の夢や志について熱く語り合ったりした。でも今はお互いが多忙なこともあって、2、3年に一回会うかどうかである。でも、別に寂しくはないし、今でも彼らのことを親友だと思っている。
彼らは、それぞれベストを尽くして頑張っている。会わなくても、私にはよくわかる。彼らに負けたくないから、私も頑張る。たまに会って、近況報告をし合い、刺激を与え合って、再びそれぞれの道でベストを尽くす。道は違っても、いつかは山の頂で再会することを私は信じている。彼らがいるから人生というマラソンをリタイアせずに走ることができる。私には、かけがえのない友がいる。