平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #056

「共のマネジメント」~共通の体験が強い共感を生む

 

カンパニーは「株式会社」と訳されるが、本来は「同じ釜の飯を食う同志」という意味である。ドラッカーによれば、企業は一人ひとりの人間の働きを一つにまとめて共同の働きにするという。では、この一人ひとりの人間の働きが仕事かというと、そうではない。それらがまとめられ、協働のかたちをとり、共同体としての企業の働きとなって、はじめて個々の活動は仕事になるのである。つまり、それは企業に働く者が共通の目標のために貢献することであり、ただ企業の中にあって、自分勝手に動いているだけでは仕事とは言えないのである。
ドラッカーは、共通の目標に貢献するためには、その活動は隙間なく、摩擦なく、重複なく一つの全体を生み出すように統合されなければならないという。
また、組織における共通の体験は共感を生み、それは連帯感につながる。リーダーさえも共通体験の輪に加われば、強い連帯感となる。紀元前218年、第二次ポエニ戦争が起こり、かのハンニバルは象を使ったアルプス越えという奇策でイタリアに侵入、ローマ軍を大いに苦しめた。ローマとの長年にわたる戦いは苛酷な体験だった。寒さも暑さも、ハンニバルは無言で耐えた。兵士のものと変わらない内容の食事も、時間が来たからというのではなく、空腹を覚えればとった。彼が一人で処理しなければならない問題は絶えることはなかったので、休息をとるよりも問題を片付けることが常に優先した。その彼には、夜や昼の区別さえなく、眠りも休息も、やわらかい寝床と静寂を意味することはなかった。
兵士たちにとっては、樹木が影をつくる地面にじかに兵士用のマントに身をくるんだだけで眠るハンニバルは、見慣れた光景になっていた。兵士たちは、そのそばを通るときは、武器の音だけはさせないように注意したという。決して打ちとけた感じではなく、厳しい態度を崩さなかったハンニバルだったが、兵士たちは彼に大いなる共感を示したのである。
世界的な映画監督として知られた黒澤明は、セット撮影に入る前に、スタッフや出演者全員に必ず、濡れていない雑巾を持たせて、城の一部などの大道具をカラ拭きさせたという。
もちろん、黒澤監督が先頭に立ち、主演のスターも、大部屋の役者も、大道具、小道具、録音、証明、カメラ、音楽など、とにかく映画製作に関わる人はすべてカラ拭きに動員された。カラ拭きという共同作業によって、全員の気を揃え、名画を作るという共通の目標に全員を向かわせたのである。