平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #109

「益のマネジメント」~公益を念頭に、「夢」と「欲」を逆算せよ

 

作家の塩野七生氏によれば、カエサルは古代の英雄の中でもきわめて特異な存在であったという。それは彼が帝王ではなく、大衆に人気のある政治家だったからである。
カエサルはまず何よりも有能な軍人であった。ローマ軍を率いて常に連戦連勝、大衆はいつも勝つ者に拍手する。チンギス・ハーンしかり、ナポレオンしかり、である。しかしカエサルはただ戦争に強いだけでなく、政治家としても有能だった。戦勝の功績で執政官に抜擢されると、一般市民の利益を擁護する姿勢を常に取り続けた。
塩野氏は、カエサルは良い意味での欲張りだったと分析する。一つのことを一つの目的でやる男ではなかったのである。つまり、私益は他益、ひいては公益、と密接に結びつける手法が彼の特色だ。なぜなら、私益の追求もその実現も、他益ないし公益を利してこそ十全なる実現も可能になる、とする考えに立つからである。
この考えは、別にカエサルが天才だったから考えついたわけでも、また実行できたことでもない。塩野氏によれば、私たち凡人も、意識せずとも日々実行しているという。かのルネッサンスの政治思想家マキャヴエッリは、「公人であろうと、その人の利益の追求は求められるべきである」と主張した。自分のやるべきことを十全に行なえば、私益は他益となり、さらには公益となる。なぜなら、人間の本性にとって、このほうがよほど自然な道筋であるからである。
もっとも、カエサルは自分の公然の愛人がクレオパトラになった後、元愛人であるセルヴィーリアの生活に支障がないよう、国有地を安く払い下げるという、現代の感覚からすればとんでもないことまでやっているけれども。明らかに公人としてあるまじき行為である。しかし、それもセルヴィーリアの幸福という他益を考えての、彼なりの思いやりだったのだろう。
カエサルという男、自分のやりたいように行動して、それがそのまま自分の利益ともなり、他人を幸福にし、ひいては公益にもつながるのだから、やはりタダ者ではない。言わば、「欲」と「夢」と「志」を矛盾なくリンクさせるという、とんでもないことを実現し続けたわけだ。
たとえば、私は文章を書くことが好きなので、新聞や雑誌に原稿を書いたり、本を書き下ろしたりする。私のメッセージが多くの方々に読まれ共感を得れば、当社に対するイメージが上がり、業績も良くなるかもしれない。そして、「ハートフル」という私のメッセージによって、社会を少しでも良くしようと思う人が一人でも現れれば、これはカエサルに比較すると圧倒的にスケールが小さいながらも「欲」と「夢」と「志」をリンクさせたことにはならないか。
私にとって、文章を書きたいというのは「欲」であり、会社を良くしたいというのは「夢」であり、社会を良くしたいというのが「志」というわけだ。