平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #077

「変のマネジメント」~自己の変革者こそが社会を変革する

 

時代は常に変化している。マネジメントを成り立たせているものとしてマーケティングとイノベーションがあるが、マーケティングとは時代の変化を読むこと、そしてイノベーションとは時代の変化を起こすことだと言えよう。そのためには、何をすべきか。
現代の日本は幕末以来の時代の激変期であるという。幕末の勝海舟は、時代の変化を的確に読める人間であった。若い頃から剣術を鍛えるとともに蘭学にも親しみ、長崎海軍操練所で航海術と砲術を学んだ。そして、これからの時代にはすみやかに諸外国と交流してその文化を吸収し、日本を強い国に育てるのがよいと考えていた。
ペリーが来航した際、幕府に対して開国すべしという意見書を提出したりしたので、攘夷派から命を狙われることになった。実際、坂本龍馬が彼を暗殺しに来たが、逆に説き伏せて自分の弟子にしてしまった。
その後、咸臨丸の艦長として使節団を成功に導いたことで幕府内でも強い発言権を持つようになり、幕府の軍艦奉行に任命され神戸海軍操練所の建設に乗り出した。
徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いで敗れて江戸へ戻ってからは、旧幕府連立政権の陸軍総裁となり、新政府軍の江戸城攻撃の前日に西郷隆盛と会談を行い、江戸城を無血開城に導いたとされる。
海舟の弟子、龍馬も時代の変化に敏感であった。彼が友人の桧垣清治と行き会うたびに、自分を変革していたエピソードは有名だ。つまり、「長い刀から短い刀」「短い刀からピストル」「ピストルから万国公法」というように、古い武器から新しい武器、新しい武器から法律あるいは民主主義へと、変化の象徴を求めながら、龍馬自身の自己変革を告げたという話である。
なぜ、彼はそういうことを成し得たのか。「彼は昨日の彼ならず」という言葉がある。
今日の龍馬は昨日の龍馬ではなかった。彼にとっては、明日になれば今日は即昨日に変わった。つまり、龍馬は「日々新たなり」の言葉通り、自己を果てしなく変革していったのである。自己変革とは、脱皮に告ぐ脱皮の行為である。彼は昨日の自己に何の未練も持たなかったし、捨てても惜しいとは思わなかった。この連続性のある脱皮精神が龍馬を龍馬たらしめたのである。
作家の童門冬二氏によれば、坂本龍馬は2000年前の中国の思想家が口々に唱えた「社会を変革する者は、まず自己の変革者でなければならない」という言葉を、そのまま実践したのである。自己の変革者こそが、イノベーションを起こし得る存在なのだ。