平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #062

「易のマネジメント」~統計的研究が行きづまりを打開する

 

東洋思想の大家であり、数多くの政治家や実業家の心の師であった安岡正篤は、非常に変化の激しい時代を生き抜くために「易」というものを重視していた。彼がよく語ったところによれば、いわゆる俗的な解釈とは違って、易とは変化の理法を説く学問であり、人間世界の偉大な統計的研究に他ならない。
『論語』には、「五十もって易を学べば、またもって大過なかるべし」という孔子の言葉が出てくる。50歳になると誰でも人生というものを考える。よほどの横着者か、馬鹿でない限り、何か考える。「俺はこれでいいんだろうか、こんなことで俺の人生というものは一体どういう意義があり、価値があるのか」と考えない者はいないはずだ。あの孔子ほどの偉大な哲人、聖人が、「五十歳で易を学ぶ」と発言していることは教えられるところ大である。
中国には「易姓革命」という重要な思想がある。王朝が変わることである。中国の天子は天命、天の命によって天下を治める。しかし、歴史の流れの中では不徳の為政者が出てくる。徳のない為政者が出ると、徳をもった別の人が天命を受けて新しく天下を治める。これが易姓革命だ。
この易姓革命によって中国の歴史を見ると、見事に王朝の交代が説明できる。有徳の士が天下を取る。しかし、その王朝に不徳の天子が出てくると、易姓革命によって姓が変わらざるをえなくなる。中国の歴史はこういう攻防の繰り返しである。
中国のみならず、西欧の歴史も易姓革命と関係がある、と安岡正篤は見ていた。第一次世界大戦後に「西欧の没落」というテーマがヨーロッパで大変な関心を呼んだが、安岡が易について語るときにいつも触れたのが、オズワルド・シュペングラーとアーノルド・トインビーという2人の歴史家である。彼らの著作を読むと、よくもこれほど歴史を研究したなというぐらいよく勉強している。2人は世界の歴史を徹底的に調査し、その研究成果に基づいて、西欧文明は没落の道を辿っているという衝撃的な本を著した。
シュペングラーは第一次世界大戦が終わった直後に『西洋の没落』という著書を出したが、これがヨーロッパ諸国に大きな衝撃を与えた。何しろ、ヨーロッパの人々は自分たちは世界で最も優れた人種である、白人は黄色人種や黒人より偉いと絶対的な優越感を持っていたわけだから、西欧文明が没落するなど考えてもみなかったのである。
この書はトインビーを感奮させた。彼は「そうではないのだ。文明は自覚と努力によって救われるのだ」ということを明らかにしたいという悲願を立てて『歴史の研究』という大著を著した。この時、トインビーの目を開かせ、希望と信念を与えたのが、東洋の易学であった。易を知るに及んで彼は、人類の歴史というものは過去に20いくつの文明が興っては滅びる没落史であるという悲観主義から解脱したのである。
易というものは、民族がきわめて長い歳月を通じて得た統計学的研究とその解説と言って間違いない。そして自然も人生も絶えず変化してやまない。西洋の言葉で言えば、創造的進化である。易という文字には大きく3つの意味があり、その第一義は「変わる」ということである。変化してやまないということだ。しかし変わるということは、その根本に変わらないものがあって初めて変わるのである。その変わる、変化してやまないというそのものを「化」という。自然と人生は大いなる化である、これを「大化」という。大化の改新というのは、この思想に基づく。
また化の根底は不変でなければならない。不変がなければ変化という意識が生じないわけだ。そこで易の第二の意味は不易、つまり「不変」の原理である。この原則に基づいて変わる、変化を自覚し意識することだ。人間の知恵が発達するにつれて、変化のうちに不変の真理や法則を探求し、それに基づいて変化を意識的、積極的に参じていく。つまり超人間的というか、無意識的変化にとどめないで、変化を考察し、変化の原則に従って自ら変化していくという意味が出てくる。
そこで易の第三の意味は、創造的進化の原理に基づいて変化してやまない中に、変化の原理や原則を探求し、それに基づいて、人間が意識的、自主的、積極的に変化していくことである。これは「化成」と呼ばれ、人間が創造主となって運命を創造していくことだ。
そこでさらに進んで、この動いてやまない創造、クリエーション、進化を法則に支配されて動きの取れない宿命観に陥れずに、この運命の理法を探求して原理を解明する。大自然あるいは、宇宙、神、そして人間の思考や意志に基づいて、自分の存在、自分の生活、自分の仕事というものを創造していくことを立命と言う。一口に運命と言うが、大きく分けると宿命観と立命観があるわけだ。
いろいろな運命観があるが、その第一に四柱推命学というものがある。安岡正篤は、これを民間の易に基づく人間学の中で最も確かな、内容のある学問だと述べている。本当の名を命理といい、専門家は四柱推命学を命理学と呼ぶ。運命に関する真理の学問である。
実は私の母は昔から四柱推命学に通じていて、私の幼い頃からよく易の話をしてくれた。私は父に「気」を、母に「易」を学んだ。受験や就職や結婚をはじめ、人生のさまざまなステージで母の四柱推命学が私の運命を拓いてくれたように思う。