平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #083

「謝のマネジメント」~心ある謝罪と感謝で信頼を得る

 

異色の哲学者として多くの指導者を教えた中村天風は、「ありがとう」という気持ちを持ち続けていれば、不平、不満、怒り、怖れ、悲しみは自然に消えてなくなると述べた。
そして、「とにかく、まずはじめに感謝してしまえ」とも教えた。
私たちは感謝すべき出来事があって、その後に感謝するのが普通だ。「感謝を先にしろ」といわれても、なかなかできるものではない。でも、天風によれば、いま、ここに「生きている」というだけでも、大きな感謝の対象になるというのである。
ここで天風の教えは非常に実践的だ。感謝本位の生活を送るために、「三行」というものを提唱している。すなわち、「正直」「親切」「愉快」に日々過ごしていくことです。この三つの行ないを実践することによって、感謝することが容易にできるようになっていくというのである。
以前、「引き寄せの法則」というものが流行した。「成功したい」とか「お金持ちになりたい」とか「異性にモテたい」といったような露骨な欲望をかなえる法則だ。
しかし、いくら欲望を追求しても、人間は絶対に幸福にはなれない。なぜなら、欲望とは今の状態に満足していない「現状否定」であり、宇宙を呪うことに他ならないからである。
ならば、どうすればよいのか。「現状肯定」して、さらには「感謝」の心をもつことである。そうすれば、心は落ち着く。コップに半分入っている水を見て、「もう半分しかない」と思うのではなく、「まだ半分ある」と思うのだ。さらには、そもそも水が与えられたこと自体に感謝するのだ。大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることである。「感謝」は「幸福」への入口なのだ。
実際、多くの人々が「感謝」の心こそ、「幸福」への道だと言っている。その通りだろう。そして「大自然に感謝すべし」とか、「宇宙に感謝すべし」という宗教家のメッセージもよく目や耳にする。まったくその通りだと思うが、普通の人間がそこまでの達観することはなかなか難しい。しかし、どこかで感謝のスイッチを入れて、心を「感謝モード」にすることが大切なのも事実。ならば、どうするか。
私は、こう考える。私は会社を経営しているが、全社員の誕生日を祝っている。老若男女を問わず、誰にでも平等に毎年訪れる誕生日。誕生日を祝うということは、その人の存在すべてを全面的に肯定することで、まさにわが社のミッションである「人間尊重」そのものだ。
社長であるわたしは、日頃の感謝の気持ちを込めて1500名近い社員全員に自らバースデイカードを書き、プレゼントをつけて贈っている。毎日の各職場の朝礼において、誕生日を迎えた人にカードとプレゼントを渡し、職場の仲間全員で「おめでとうございます!」の声をかけて、拍手で祝うのである。社員の皆さんも喜んでくれているようだが、そのかわりにお願いをした。それは、「誕生日には、ぜひ自分の両親に感謝していただきたい」というお願いである。
ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在だ。馬の子は馬の子として、犬の子は犬の子として生まれてくるが、人間の子どもは人間として生まれてこない。自分では何もできない、きわめて無力な弱々しい生きものである。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。実に2年間もの長期にわたって、常に細心の注意で世話をしてやらなければ、放置しておくと死んでしまうのがヒトの赤ちゃんなのである。こんなに生命力の弱い生き物は他にない。
私は、ずっと不思議に思っていた。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、現在まで残ってきたのだろうか?」と。そして、あるとき突如として、その謎が解明した。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからである。
ある意味で、自然界においてヒトの子が最弱なら、ヒトの母は最強と言えるかもしれない。そして、その母子を大きく包んで、しっかりと守ってやるのが父親の役割だ。誕生日とは、何よりも、命がけで自分を産んでくれたお母さん、そして自分を守ってくれたお父さんに対して感謝する日ではないだろうか。
私は、自分の誕生日に両親に対して心からの感謝をすることこそ、感謝のサイクルに突入して、心を感謝モードにする第一スイッチであるような気がしてならない。そして、両親への感謝から宇宙や自然や神仏への感謝につながってゆくのではないかと思う。
感謝の念は「ありがとう」という言葉に集約される。ヒューマンウェア研究所の所長である清水英雄氏によれば、この人生には一つのムダもマイナスもないという。起こっていることすべてには意味があり、みんな「有ること」が「難しい」ことに「当たる」から「有難当(ありがとう)」なのだという。この考えは、イトーヨーカ堂名誉会長である伊藤雅俊氏の商売哲学にも通じる。伊藤氏は、母親から「お客様は来て下さらないもの」「取引先は商品を卸して下さらないもの」「金融機関はお金を貸して下さらないもの」という教えを受けたそうである。
この世に「当たり前」は何一つとしてない。すべてが「有り難い」ことなのだ。たとえば、今は苦しくても、お店がまがりなりにもここまでやってこれたのは、「来て下さらない」はずのお客様がわざわざ買いに来てくださり、「商品を卸して下さらない」はずの取引先が卸して下さり、「お金を貸して下さらない」はずの金融機関が融資して下さった「有り難い」お力添えのお陰があったからこそなのである。その「ありがとう」の根本がわかれば、自ずからお客様のため、地域のために役立つよう一生懸命働こうという気持ちになってくる。それがまたお客様や地域の人々の共感を呼び起こし、お店はますます繁盛へと好循環していくのである。