平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #122

「恥のマネジメント」~「恥の文化」を守り、日本人らしさを広める

 

安岡正篤は言った。人の人たるゆえんは、実は道徳を持っていることである。そしてそれは「敬」するという心と、「恥」ずるという心になって現れる。いくら発達した動物でも、この二つの心は絶対に持っていない。
この「敬」と「恥」は、孔子および孟子に流れる根本観念であるという。人間が進歩向上し、偉大なものを求めるときに生じるのが「敬」の心である。そして相対関係として、必ずそこに生じる心が「恥」である。その敬する心と恥じる心、もっと根源的に言うと、本能や衝動が人間の中にあって、ここから人間の道徳やいろいろな学問・文化に発展してきたのだ。
「敬」はどちらかというと理想的で、人間にとってこの敬の心を養うということは難しい。しかし、恥じるという心は、だれもが一番持ちやすい本能的衝動だ。『論語』では「敬」ということを非常に大切に説いているが、『孟子』はむしろ「恥」というものを重視し、「恥ずる心ほど人間にとって大切なものはない」と力説した。
人間が恥じるという心を養えば、それで人間は必ず救われる。恥に堪えないという心を養いさえすれば問題はないのであり、だからこれを養えばよいのだというのだ。当然ながら、子どものうちに恥じる心を身につけさせることが必要だと孟子は述べた。
古代中国で生まれた「恥」というコンセプトは日本で花開いた。
武士道というものの根底もすべて「恥」にある。江戸時代の武士道とは武士のみの独占物ではなく、町民、庶民、女性や子どもに至るまですべての日本人が持っていた美学と言える。だから、「侠客道」とか「商人道」という言葉さえ生まれたのである。
そして、武士と町民、庶民が共有していたのは、「恥を知る」という日本人特有の文化、倫理に他ならない。かつて日本では、親は子に「恥ずかしいことはするな」「人様に後ろ指をさされるな」「人様に迷惑をかけるな」と教えた。
江戸において、人から「いなかっぺい」と呼ばれることは最大の恥であった。地方出身者という意味ではなく、相手の肩書きや貧富を知ったあとで急に態度を変える俗物的な人間をさす。それは、井の中の蛙(井中っぺい)とされて、もっとも軽蔑されたのである。
このような倫理感や美意識が江戸・明治の日本人の真骨頂だった。シルバーシートに座って狸寝入りを決め込む若者を目にするたび、世も末だと思う。現代の日本人全体が、大切なこの「恥」という公徳心を忘れかけている。特に「恥」に日本文化の本質を見いだしたのが司馬遼太郎であった。彼によれば、「人に笑われまい」という恥の文化のおかげで千年以上も社会が保たれてきたという。借金の証文に、いついつまでに返済すると書き、「もし、このことに違えば、どうぞお笑い下さい」と書くのが、明治以前の証文の型だったのである。