平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #103

「怒のマネジメント」~公のために怒りをもって事に当たる

 

意外に思うかもしれないが、リーダーシップにとって怒りは重要な要素である。アリストテレスはアレクサンダーの家庭教師を務めたとき、効果的な指導に役立ついくつかの原則を教えた。アリストテレスによれば、威圧的なスタイルの場合、リーダーは「正しい相手に対して、正しい方法で、正しい時に、正しい理由で怒る人」でなければならない。
紀元前333年にイッソスの戦いでペルシャ王ダレイオスを破った直後は最も優れた司令官ぶりを発揮した時期だった。例えば、ダレイオスがペルシャ西部の土地をアレクサンダーに差し出すと言ってきたが、その土地はすでにアレクサンダーのものになっていた。
彼は、ダレイオスに「今後、使いを寄越す時にはいつも、全アジアの王としての私に使者を送り、対等の立場で希望を述べてはならない。ただし、必要なものがあれば、ペルシャの全領土を支配する私に申し出るように」と書いた。そして、それに従わなければ、普通の犯罪者と同じように追求する、とアレクサンダーは威嚇した。彼はダレイオスに、誰が勝者で誰が敗者かを忘れているのではないかと諭したのである。そして、勝者がどちらかについて誤解しているのであれば、喜んで再び一戦を交えようとも言った。ダレイオスが震えあがったのは言うまでもない。
西ドイツの首相であったアデナウアーが、アメリカのアイゼンハウアー大統領に会ったとき、「怒りを持たなくてはいけない」と言ったという。多くの政治家を指導した安岡正篤も、リーダーには怒りが必要と言っている。
もちろん怒るといっても、下らない私憤から出る怒りではない。人間の良心から出る、民族で言うならば民族精神・民族的良心・民族的道心から発する怒りである。時局に限らずすべてのことに阿って、私心・私欲を欲しいままにしようとする佞人・奸人に対して、佞策・奸策に対して、良心から慨然として怒りを発する。
『詩経』に「文王赫怒」という名高い言葉がある。殷の末、紂王を中心にして政治が極度し頽廃し堕落して、人民が苦しんでいた時に、文王はその暴政に対して赫然として怒りを発して決起した。そうして百姓は救われることができたのである。
だから一国の首相は首相としての怒りを、会社の社長は社長としての怒りを持たなくては、本当に力強い経営はできないと言ってよい。ましてや難局に直面し、難しい問題が山積みしているとき、リーダーはすべからく私憤にかられず私情にかられず、公のための怒りをもって事に当たらなければならないのだ。