平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #143

「隣のマネジメント」~無縁社会を乗り越えるために隣人と祭りを!

 

わたしは、「となりびと」という言葉をよく使う。読んで字のごとく「隣人」のこと。結婚式のお手伝いをする「むすびびと」と同じく、わたしの造語である。いま、多くの人々が人間関係に悩んでいると言われるが、社会とは、つまるところ人間の集まりである。そこでは「人間」よりも「人間関係」が重要な問題になってくる。
そもそも「人間」という字が、人は一人では生きていけない存在であることを示している。人と人の間にあるから「人間」なのだ。だからこそ、人間関係の問題は一生つきまとう。わたしたちは一人では生きていけない。誰かと一緒に暮らさなければならない。では、誰とともに暮らすのか。まずは、家族であり、それから隣人である。考えてみれば、「家族」とは最大の「隣人」かもしれない。
現代人はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きている。ちょうど、空中に漂う凧のようなものである。そして、わたしは凧が最も安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要ではないかと思う。縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」である。この縦糸を「血縁」と呼ぶ。また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」である。この横糸を「地縁」と呼ぶのだ。この縦横の二つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての「幸福」の正体ではないかと思う。
作家の太宰治が最後の力をふりしぼって書いた小説に『人間失格』がある。太宰自身の自叙伝的要素が強いとされるこの作品で、彼は次のように書いている。
「自分には、禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです」
ここには、一人の人間の、人間としての「不安」が見事に描かれている。隣人とつながりを持てないという不安が。そして、太宰は続けて次のように書いている。
「自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです」
そして、「そこで考え出したのは、道化でした」とも書いている。すべてを茶化して笑い事ですませ、他人に対して道化を演じることは「自分の、人間に対する最後の求愛でした」と、太宰は記しているのだ。ここには、人間としての「不幸」がはっきりと示されている。彼は、隣人と楽しく会話がしたかった。隣人とつながりたかったのに、それが出来なかった。そのために、おどけた道化のふりをするしかなかった。
おそらく、そんな自分自身の姿を重ね合わせて、太宰は『人間失格』という強烈なタイトルをつけたのではないだろうか。しかし、彼がある意味で自虐的に命名した「人間失格」者たちが現代の日本では珍しくなくなってきた。隣人と会話が出来ないばかりか、隣人が孤独死していても気づかないような人が多くなってきた。そして、「無縁社会」とまで呼ばれるようになった。このままでは、日本は人間失格者だらけの国になってしまう。
かつての日本社会には「血縁」という家族や親族との絆があり、「地縁」という地域との絆があった。日本人は、それらを急速に失っているのである。「無縁社会」や「葬式は、要らない」といったキーワードが叫ばれる中、わが社は「有縁社会」を再生すべく挑戦してきた。わが社では、本業である冠婚葬祭互助会の運営、各種の儀式の施行をはじめ、最近では「隣人祭り」や「婚活セミナー」などに積極的に取り組み、全社をあげてサポートしている。これらの活動は、すべて「無縁社会」をなくし、「有縁社会」を実現するための試みである。
「遠い親戚より近くの他人」という諺がある。でも、無縁死を迎えないためには「遠い親戚」も「近くの他人」もともに大切にしなければならない。そのための冠婚葬祭であり、隣人祭りではないだろうか。いま、あらゆる縁を結ぶ「結縁力」が求められているのである。
たしかに、現在の日本の現状を見ると、「無縁社会」と呼ばれても仕方がないかもしれない。では、わたしたちは「無縁社会」にどう向き合えばよいのか。さらに言うなら、どうすれば「無縁社会」を乗り越えられるのか。
わたしは、その最大の方策の1つは、「隣人祭り」であると思う。「隣人祭り」とは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うこと。都会に暮らす隣人たちが年に数回、顔を合わせる。
「隣人祭り」とは、隣人と、ほんの少し歩み寄る機会をつくることである。同じアパートやマンションをはじめ、同じ地域の隣人たちなど、ふだんあまり接点のない地域の人たちが、気軽に交流できる場をつくり、知り合うきっかけをつくりたいときに有効だ。また、自治会や地元の行事、集合住宅の会合などに、今まで参加しなかった人を集めたいときや、サークル活動やボランティア活動に、同じ地域に暮らす隣人に参加してほしいときなど、高齢者や子どもたち、単身者など含め交流の場をつくるのに有効である。現在、わが社は年間600回以上の「隣人祭り」開催のサポートを行っている。
ところで、「隣人」の「隣」という文字の意味を知っているだろうか。「隣」の字の左にある「こざとへん」は人々の住む「村」を表す。右には「米」「夕」「井」の文字がある。3つとも、人間にとって最重要なものばかりである。それぞれ、「米」は食べ物を、「夕」は人の骨を、「井」は水を中心とした生活の場を表している。すなわち、「隣」という字は、同じ村に住む人々が衣食住によって生活を営み、その営みを終えた後は仲間たちによって弔われ、死者となるという意味なのである。そこから、「死者を弔うのは隣人の務めである」といったメッセージさえ読み取れる。
「俳聖」と呼ばれた松尾芭蕉に「秋深き隣は何をする人ぞ」という有名な句がある。多くの人は「秋の夜、隣の家の住人たちは何をしているのかなあ」というような意味にとらえているだろうが、じつはこの句には深い意味がある。
芭蕉は、51歳のときにこの句を詠んだ。1694年(元禄7年)9月29日のことだが、この日の夜は芭蕉最後の俳句会が芝柏亭で開かれることになっていた。しかし、芭蕉は体調が悪いため句会には、参加できないと考えた。そこで、この俳句を書いて送ったのである。結局これが芭蕉が起きて詠んだ生涯最後の俳句となった。彼はこの日から命日となる10月12日まで病床に伏せ、ついに一度も起きあがることなく亡くなった。
「隣」の真の意味を考えれば、「秋深き隣は何をする人ぞ」という句は次のように解釈できる。「いよいよ秋も深まりましたね。紅葉は美しく、夜には虫の音も響き渡って、想いが膨らみます。村の皆さんは、何をして秋を楽しむのでしょうか。私は間もなく死んでしまいますが、皆さんはこれからどのような人生を送るのでしょうか。ぜひ、実りのある人生を過ごされることを願っています。それでは、さようなら・・・」
この句に「隣」の字を使った芭蕉の心には、単なる惜別のメッセージだけでなく、もっと切実な「人の道」への想いがあったのかもしれない。