平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #061

「予のマネジメント」~時代を見通す先見力が必要である

 

最近、就職活動中の学生を対象に講演する機会が多い。学生さんたちに、どういう業界や会社をめざしているのかと聞くと、現時点で一番栄えている企業、脚光を浴びている企業が常に上位を占めていることに気づく。そうした傾向は今に始まったことではない。
たとえば、昭和20年代に大学を卒業した人々は、砂糖、石炭、合繊などの分野の企業への志望が多かった。そして有名大学を出た天下の秀才たちが入った。30年代に入ると、鉄鋼や造船といった重工業に人気が集まった。40年代には銀行や商社などが、五十年代になると、それまでは低く見られていた保険や証券などの業界が、高額のボーナスなどの魅力もあって、名門大学出の秀才たちが続々と就職し始めた。
しかし時代の変化とともに、かつての花形産業は次々に勢いを失っていった。当時、最難関の会社に意気揚々と入った人々は、その後サラリーマンとしてあまり充実感が味わえなかった人も多かったはずである。
本来大学生というものは「未来」が最大の資産なのだから、未来を読んで先を考える存在でなくてはいけないはずだが、常に実態より遅れた世間の、マスコミにつくられたイメージに踊らされてきたのである。それも、今見えている現実が、あたかもそのままの状態で推移でもしていくように錯覚してきた。
しかし、少しでも物を考える人間なら、この世界に永遠に続くものなどないことがすぐわかるはずだ。強大で不滅のように思われたローマ帝国でさえ滅び、栄華を極めて終わりがないように見えた唐王朝も終焉を迎え、万全の防御体制を誇った徳川幕府もいとも簡単に倒されてしまった。このような強大な権力でさえ衰亡するのだ。ましてや民間企業など、いつまでも大きいまま存続し続けられる道理がないではないか。
指導者とかリーダーと呼ばれる存在には、何より先を見通す予見力というものが求められる。アレクサンダーは優れた指導者が備えているべき運や本能というものを「希望」と呼んだという。つまり、運とか本能とは、論理的に掌握しにくい要因に対するリーダーとしての自負と期待が「希望」という形に収斂されたものであるということだろう。またリーダーにとって必要なものを、カエサルは「運」だといい、ナポレオンは「星」と呼んだそうである。
ナポレオンは魔術に対する関心が強く、魔術発祥の地であるエジプトに遠征したぐらいだから、占星術にも通じていた可能性は大いにある。いずれにしろ指導者が明確なビジョンを持っているとか、現実把握が優れているというのは、動いていく時代の流れの速さやその方角を本能的に察知しているとことの証しだと言える。フランスの名大統領と言われたシャルル・ドゴールによれば、そのような予見力とは物事の秩序の根源をつくる能力、つまり、最も肝心な物事が動かされていく原理を本能的に察知しとらえるという、能力というよりも現実に対する一種の「嗅覚」であるという。
日本で予見力のあった指導者といえば、織田信長が思い浮かぶ。戦国時代、各地に群雄が割拠して覇を競ったが、その中でも特に強さを誇ったのが甲斐の武田勢であった。最強といわれた武田の騎馬隊は周囲の国に恐れられ、戦って負けを知らないという姿だった。その強さは、名将信玄が没し、息子勝頼の代になっても変わらぬものがあったが、それが長篠の一戦で織田、徳川の連合軍に大敗を喫し、それがきっかけとなって滅亡への道をたどるようになってしまう。
この長篠の戦いにおいて、信長は5000丁もの鉄砲を用意し、それを三手にわけて間断なく撃ち続けるという作戦を用いた。しかも、信長は自軍の前に無数の杭を打ち、それに縄をはりめぐらした。そのため武田の騎馬勢はそこで足をとられているところを一斉射撃に遭い、ほとんど戦いらしい戦いもしないままに、多くの死傷者を出して惨敗してしまった。
これは個々の武将や士卒の強さではなく、完全に武器の差によるものである。いくら武田の騎馬隊が強くても、敵陣に行くまでに撃たれてしまっては勝負にならない。結局、「これからは鉄砲の時代だ」ということを察知し、早くから準備していた信長の予見力が、戦う前から勝利を決定づけていたと言える。
ナポレオンも信長に近いことをやっている。1800年、ナポレオンは4万人の軍隊と3000頭の馬を引き連れて雪の峠を越え、オーストリア軍を急襲して勝利した。紀元前2177年、カルタゴの名将ハンニバルが象に軍事物資を積んで険しいアルプスを越えてローマ軍を襲撃したことをナポレオンが甦らせたわけである。彼の予見力による勝利であった。
エジソンは死ぬ前に「火薬の戦争など本当の戦争ではない。何か電気か殺人光線のようなものを使って、いっぺんに敵を皆殺しにする時代が来るだろう」と言った。後の原子爆弾とレーザー兵器を予見したものである。昭和12年のアメリカでは、SF作家がそうとはまったく知らずに当時米軍の超機密事項であった原子爆弾を小説にしたことがあった。
あのタイタニック号の沈没を予言した小説が存在したことはよく知られる。中村天風は、「小説やお話や映画や演劇で多くの人々の関心をよぶものは、無意識に時代を先取りしたところがある。書いたり作ったりしてる方が、それに勘づいていないだけだ」と語っていた。