平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #046

「拝のマネジメント」〜相手の身中に宿る仏心に合掌する

 

人を動かすには、心を動かさなければならない。心を動かすには言葉だけではだめで、態度も重要である。「経営の神様」と言われた松下幸之助は、よく部下に手を合わせて拝んでいたという。
小さい会社の経営者であれば、率先垂範して部下に命令しながらやることも必要だが、これが100人とか1000人とかになれば、それではだめである。心の底に「こうしてください、ああしてください」というような心持ちがないといけない。これがさらに1万人、2万人となれば、「どうぞ頼みます」という心根に立たないといけない。しかし、もっと大きくなると、部下に対して、「手を合わせて拝む」という想いがないといけない。松下幸之助はそういう心で経営をやってきたという。
手を合わせて拝むことを合掌という。合掌とは、単に社交で頭を下げる低頭や、手を握り合う握手と違い、相手の人の地位や身分を尊敬するのではない。合掌は、先方の人の身中に宿る仏心を拝むのである。相手の全人格をたたえる作法だから、合掌は握手と低頭とを総合した最高のごあいさつだ。だから、傍らにいるものでも感動するのである。
しかし、臨済宗の大家で知られる松原泰道師によると、必ずしも形のごとく両手を合わせるだけが合掌ではないという。相手の仏心を拝む心のない合掌は、ただ右の手と左の手とを合わせただけのポーズである。それと反対に、出会った人に心の中で「どうぞ、お幸せでありますように、あなたさまのお心に、少しでも御仏のお智慧とお慈悲が得られますように」と念じて握手をし、頭を下げるなら、たとえ手を合わさずとも尊い合掌なのだ。
仏教の人間観は、性別や年齢や民族に関係なく、等しくみな「仏に成る」可能性を具えているとする。仏に成る、とは人間性の完成を意味し、その可能性を仏性と言うのである。
松原師は仏性を「純粋な人間性」と表現している。これは言い換えると、「ほとけさまになる種」である。年齢や性別その他すべての区別を超えて、ほとけさまになる種を持っているから、人間は尊厳なのだ。人間誰もが持つ、この純粋な人間性を、単なる尊敬でなく拝んでいくのが、仏教思想の人間観である。だから、仏教徒は相互にあいさつするときは、お辞儀や握手ではなく合掌をするのだ。それは相手の心中にある仏性を拝み合うのである。
単なるパフォーマンスではなく、心からの合掌ができる人間になりたいものだ。