平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #018

「愛のマネジメント」〜愛嬌と可愛げのある人間になれ

 

 「愛」は、人間を扱うマネジメントにとって根本的なテーマである。トルストイは「愛の反対は、憎しみではなく、無関心である」と言い、S・モームは「愛の悲劇は、死でも別離でもなく、無関心である」と語った。そして、シスター・マザーテレサは「この世のなかで一番大きな苦しみは、一人ぼっちで、誰からも必要とせず、愛されていない人々の苦しみです」と現代の病巣を鋭く突いた。
経営者たるもの、いやしくもマネジメントの道を志すならば、自社の社員に無私の愛を注ぐことは当然だ。その場合には、心理学者フロムが「愛の要素」と呼んだ配慮、責任、尊厳、知を与えることが必要であろう。彼らのみならず取引先、お客様、その他の周囲の人々にも愛を与えることができたとき、それは単なる愛情を超えて「善」となる。
そして大切なことは、それらすべての人々からも逆に愛されなければならないということである。
PHP研究所社長の江口克彦氏は、結局私たちは「心からにじみ出るもの」で勝負しなければならないという。やがて心の発露が、振る舞いや身なりだけでは誤魔化せない、その人の印象となる。そして確実に、人間はその心の発露を読み取っていく。だから極端に言えば、振る舞い、身なり、言葉がどうであろうと、心が和やか、穏やかで明るければ、多くの人を惹きつけ、多くの人から愛されるということになる。そして、その心の発露のなかで特に重要なものが「愛嬌」である。
もともと愛嬌とは、愛敬相という仏教用語に由来していて、和やかで優しいブッダのような顔で人々を惹きつける相ということらしい。そう考えてみると、愛嬌は女性に限らず男性にとっても、いや人間にとって実に大切な特性なのである。
愛嬌を「可愛気」と言い換えてもよい。谷沢永一氏は『人間通』において、女の色白は七難かくすと言うが、人間の欠点が覆い隠されて世の人から好意を得ることができる性格
の急所は可愛気であると断言している。「あいつには至らないところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ」と寛大に許される場合がほとんだ。才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの者にはかなわない。谷沢氏は、「人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。女が男を選ぶときの呼吸にどこか似ているのかもしれない」と述べている。