平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #028

「教のマネジメント」〜対話による教育方法で中庸を説く

 

当社は、創業者である会長が本来は事業家よりも教育者をめざしていたこともあり、社員教育というものに非常に力を入れている。営業や経理といった各種実務研修はもちろん、挨拶やお辞儀や電話応対のマナー研修、そして冠婚部門のスタッフには神道やキリスト教の知識、葬祭部門の社員には仏教や儒教の知識を得るための勉強会を開く。さらにもう30年以上も、毎月18日の月次祭の後に、会長・社長と課長以上の管理職全員による対話を中心とした勉強会を開催している。
この対話というのは、教育の原点、あるいは基本と言ってよいだろう。東洋では、孔子の『論語』は、弟子との対話・問答で構成されているし、孟子の『孟子』もまた、対話の集成である。
西洋でも、ギリシャ哲学の父であるソクラテスは、アテナイの街頭に出ては青年と対話し、青年が自ら何かを考えながら向上していくように指導した。その問答を後に弟子のプラトンが『ソクラテスの対話』としてまとめている。これを読むと、対話や問答というものの教育的効果の大きさがよくわかる。しかし、ソクラテスの方法には規律も厳密さもなかった。ソクラテスの方法を最初に取り入れ、正式な教育方法のなかで応用したのが、アリストテレスだった。彼は、話し合う内容によって規律をつくり、ソクラテスのアプローチの仕方と議論の方法を調整し直した。
マケドニア王フィリッポスにミエザの学問所に招かれ、彼の息子アレクサンダーの教師を務めたアリストテレスは、ここでも対話教育を重んじた。彼はまた、教育プログラムを組み、それぞれの生徒が選択した専門分野を深く学び、かつその他の分野にも満遍なく触れられるように配慮したという。それによって、アレクサンダーら生徒たちが、マケドニアの将来の指導者として、いずれ関わる軍事、政治、公共政策、正義といった問題に一貫した態度で取り組めるようにしたのである。
時代は下り、1870年にアリストテレスの手法がよみがえった。法律教育における革命とも言える動きのなかで、クリストファー・コロンバス・ラングデルがハーヴァード・ロースクールに対話をもとにした「反対論証的」指導方法を導入したのである。それ以来、アリストテレスの手法は法学の教授法の基本となった。実際の判決の概要を使って法律の理論的および実際的な根拠を説明するこの手法では、教室内の誰かが当てられて、判決の事実を読み上げる。そして、その事実を分析し、行動指針を提案するのだ。
それから教師と学生のあいだで対話がはじまり、学生はそれぞれ発言の時間を競って、主張された事実や行動方針を積み上げていき、あるいはそれを崩していく。つまり、まず問題が提示され、問題を正確に見るために事実が再度述べられる。それから自分の立場を主張する。続いて提案された立場への反論と反対の立場の弁護が行なわれる。さらに、教師がこの訴訟から学ぶべき要点に的を絞っていくあいだ、双方の弁論が続けられるのだ。
1924年に、ハーヴァード・ビジネススクールはハーヴァード・ロースクールのやり方を採用し、「CEOのように考える」架空の心理状態による対話主体の事例研究法を導入した。今日では世界中の法律およびビジネス関係の学校がこの教育方法を実践している。それだけでなく、ジャーナリズム、教育、医学、さらには神学の学校でもこの方法が取り入れられている。神学生は今や、教義や礼拝の執り行ない方を学ぶだけでなく、自分の教区で遭遇しそうな問題についても訓練を受けるのである。
このようにソクラテスからアリストテレスへと受け継がれた対話という教育方法は世界のあらゆる教育現場に大きな影響を与えたわけである。
さて、アリストテレスは生徒との対話のなかで「中庸」ということを最も重視したという。彼はどんな問題でもアレクサンダーと学友たちに道徳的な含みが明らかにわかるように提示した。彼は絶対不変の道徳規範など存在しないと考えていた。実際の意思決定は、数学のように確実で決定的なものには絶対にならない。また、道徳的な美徳を守れるかどうかは、そうした美徳を発揮する状況による。したがって、どんな場合にも同じ程度に厳守するよう求めるのは現実的ではない。
そこでアリストテレスは、人々に「中庸」つまり、中間的な立場を求めるよう勧めたのである。中庸とは、勇敢さに関しては極度の恐れや臆病さと怖いもの知らずの自信の中間にあり、勝利に関しては寛大さと無慈悲のあいだにある。自分にとっての中庸を見出すために、アリストテレスはアテナイにあるプラトンのアカデメイアで教えたときのように、生徒たちに繰り返し自問することを求めた。それによって、少年たちに自分の本性のどういうところが現われやすいかを自覚させ、それによって将来、統治者や司令官やリーダーとなって決断するときには必要な修正を加え、誰もが同じ結論に達しうるようにしたのだ。
興味深いことに、孔子も対話のなかで「中庸」を重んじている。『論語』に「子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな」とある。「永遠の道たる中庸は、至れり尽くせりの徳と言うべきだ」という意味で、中庸を徳の極致とさえ位置付けている。孔子とアリストテレス、東西の偉大な対話の師は、ともに中庸の大切さを説いたのである。