勇
「勇のマネジメント」~決して逃げずに正しいことをする
勇気とは何か。孔子は『論語』の中で、彼がよく用いるスタイル、つまり否定によって命題を明らかにする方法で勇気を定義づけている。すなわち「義を見てせざるは勇なきなり」と。これは、「勇気とは正しいことをすることである」と肯定的に言い換えることができる。
倫理学者の今道友信氏は、「勇」という徳目の意味が変わってきていると著書『エコエティカ』で述べている。彼は、まず、どうして昔、男らしさが徳として大事にされてきたのかを考えてみなければならないという。原始時代の野蛮な状態を考えてみると、いつどこから敵が攻めてくるかわからないが、攻めてくるのはとにかくよその男である。槍や刀を持って、弓矢を持って攻めてくる。そういうときに、共同体を守るのも男だ。自分の命を捧げても闘って、男は妻や子どもやまた老人を、村の財産を、村の部族を守らなくてはならない。その心構えと行ない、それが男らしいということだ。血を流して自分は死んで、そして一族を守った男を、男らしさに徹した人というのは当然だろう。
なぜなら、その人の死をも辞さない勇気によってその村は守られ、また勝利を得るからである。だから「勇」という漢字を見ても、男の上にマをつけて男らしさを協調している。一所懸命に物理的な肉体の力で戦わなければ、村を守ることができないという状態が、昔は中国にもあったのである。ゆえに、勇、すなわち男らしいことが尊敬されていたのである。
しかし、いったん人類の社会、文化が進歩して、殺し合いが日常的でなくなるという新しい状態が社会に生じてくるときに、それならば昔の徳は廃れるのだろうか。そうではなくて、男らしさという言葉がそのまま、昔の戦闘力に限らず、男でも女でも内的な力を持つ人が、勇気のある人になってくる。
たとえば、その夫が敵兵に殺された妻がいるとする。残された一人の子どもを守って、その女性がどんなにつらくても立派に生き抜くときに、その女性とはいかにも母らしい、女らしいが、「多くの困難に打ち克って、何と勇気のある人だろう」と人々は言う。そして、勇という字は、もはや単なる武力による男らしさと違って、男女を問わず、人間一般の持つ内的な精神の力に変わっていくのである。
シスター・マザーテレサは1910年にユーゴスラビアで生まれ、18歳で修道院に入った。そして、36歳のときに「貧しい人々のために働け」という神の声を聞き、修道院を出て、インドのカルカッタで貧しい人々のために生涯を捧げた。修道院を出るとき、彼女は5ルピー、日本円にしてわずか200円しか持たずに、町に出て行ったという。これは勇気のある行動以外の何ものでもないだろう。そして、その勇が、彼女にとても人間業とは思えない偉業を成し遂げさせたのではないだろうか。
また、アポロ11号に乗って最初に月に向かった乗組員たちも、勇気ある人々であった。最近になってNASAが発表したが、彼らが月から無事に生還できる確立はきわめて低かったそうである。彼らが宇宙に向かって飛び出した瞬間、大統領が弔辞を書き始めたという。それほど大変なリスクを背負ったチャレンジであったにもかかわらず、無事に生還できたのは、彼らの勇気のたまものである。
こうなると、「勇気とは正しいことをすることである」という『論語』の定義に戻るが、「正しいことをする」というのは、リーダーシップの基本でもある。稲盛和夫氏は、全従業員の物心両面の幸せを守らなければならないリーダーは真の勇気を持っていなければならないと述べている。同時に、卑怯な振る舞いがあってはならない。仕事を進めていく中で、トップや上司に卑怯な振る舞いをする人がいると、その集団自体が混乱してしまう。
経営者の集まりなどで、よくぼやく人がいる。しかし、従業員が誰も聞いていないところであっても、経営者は決してぼやいてはいけないと稲盛氏は言う。逆境の時であればなおさらで、たとえ虚勢であってもいいから、そこで踏ん張るのである。苦しい時には、誰だって勇気があるわけがない。縮みあがって、逃げていきたいような時に踏みとどまるのを稲盛氏は「真の勇気」と呼ぶ。
会社の中にはいろいろの性格の従業員がいる。一見して豪傑肌の人、反対に怖がりで、弱々しい人。非常に繊細で、細やかな気配りのできる人、豪快だけれどもちょっと荒っぽい人と、実にさまざまだ。そういう二通りの性格の人を見て、稲盛氏は若い頃にこう言ったという。
「豪傑みたいな人は勇気があるように見えるけれど、あれは粗野なために勇気があるように見えるだけだ。本当の勇気を持っているわけではなく、蛮勇だ。うちの会社では、本当はびびり屋で気が小さくても、非常に繊細な人に仕事を通じて、場数を踏んで度胸をつけさせよう。そして、そんな人を登用していこう」
人間としての正しさ、良心に基づいた判断を実行するためには、勇気が必要になる。どんな誹謗中傷や妨害をも乗り越えて志を果たすためには、勇気が必要なのである。
リーダーが正しい判断を貫く勇気を失い、迷っていると、すぐに見抜かれる。いささかでも逃げるような卑怯な行為があると、部下との信頼関係は損なわれ、統率がとれなくなり、組織は機能しなくなってしまう。リーダーは勇将にならなければならない。勇将の下に弱卒なしは、人類普遍の真理なのである。