平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #113

「他のマネジメント」~いかなる超人も、自分ひとりでは生きられない

 

多くの経営者を指導した中村天風は、つねに「報償を期待するな」と力説した。しかし、どうしても報償を求める卑しい気持ちが発生したときは、
「箱根山 駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」
という古い諺を思い出すようアドバイスした。そうすれば、この世の中を生きるのは、いかに偉くなっても、自分一人で生きられるべきものではなく、他人あっての自分、自分あっての他人ということが即座に感知されるというのである。そして、その直感が良心に感応すれば、報償を超越した責務感となり、さらには当然の帰結で、その責務感が「まごころ」となって発露するという。
「他人あっての自分」ということは、あの龍馬もどうやら理解していたようだ。作家の童門冬二氏は、「坂本龍馬は、いくつかの偉業を成し遂げた人物だが、そのほとんどが無資本で行なったと言える。早く言えば、龍馬は、彼の偉業を、ほとんど他人の褌で成し遂げたと言える。彼自身は、そういう偉業を成し遂げる組織とか資本力とか、必要資材とかをほとんどもっていなかった」と、『坂本龍馬 人間の大きさ』に書いている。
なぜ、それができたのか。それはやはり、彼の独創的な人間関係主義による。
童門氏はそれを同書でいくつかあげているが、その中で、
「人との出会いを重視する」「社内よりも社外の人脈の設定の妙手であった。しかも、それを日本的規模でネットワークを張った」「先輩に優れた人物が多かった(勝・大久保・横井・西郷・桂等々)」「龍馬は、他人が自分で気づかない妙手妙案を引き出す能力に優れていた。つまり、龍馬は、他人から社会のためのアイデアを引き出す誘発剤的機能をもっていた」「このことは、龍馬は話し上手でもあったが、並行して聞き上手でもあった。人々は龍馬に、巧みに自分のアイデアを引き出された」「龍馬は他人のアイデアを増幅して、実現する機関的実践者であった」
といったことが重要なポイントだろう。しかし、なぜ龍馬にこのことが可能だったかというと、やはり龍馬自身の人間的魅力に帰着する。彼は一見、傲慢のように見えたが、実は非常に謙虚であった。自己の限界をよく認識していたのである。そして、ヒューマニズムを貫き、自己愛よりも他人への愛を持ち続けた。彼は報酬など期待しなかったが、結果として周囲の他人たちが彼の志を応援した。それは「他力」というものさえ思わせる。
よく「他力本願」などと安易に使われるが、目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えているという思想が「他力」である。「他力」を知り、「利他」の心を大切にする。まさに、龍馬はそんなリーダーであった。
坂本龍馬は大いなる「他」の人であった。見習いたいものだ。