平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #002

「義のマネジメント」〜大義名分を持たない者はほろびる

 

「義」とは正義のことである。『論語』の「為政」篇には、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が出てくる。ここで、孔子は「勇」を「正義を実行すること」の意味で使っている。
2008年6月、東京で「秋葉原事件」が発生し、7人が死亡、10人が重軽傷を負った。多くの人々が事件発生時に被害者の救助に協力し、警視庁は72人に感謝状を贈ったという。救護中に容疑者に刺されて負傷した3人には、警視総監から感謝状が贈られた。私は感謝状を贈られた方々を心から尊敬し、同じ日本人として誇りに思う。中には、被害者の救護中に刺されたため命を落とした方もいた。痛ましい限りだが、この方々は本当の意味で「勇気」のあった人々である。
仁と義を結んで「仁義」という。「われらいかに為すべきか」という規範や規則が「義」である。これに対して欲望を満足させるのを「利」という。したがって、仁は必ず義と結ぶ。安岡によれば、儒教は思想の道であるとともに、仁義の教えである。この仁義と対立するのが功利であり、これは利益のことを指す。そこで儒教では、功利をいかに仁義に従わせるかということになる。仁義に背いて功利に走ると、必ず失敗や災いがある。歴史というものは人間の大切な根本原理・原則を実証するものとして大きな意義があると、儒教では考えるのだ。
儒教にはまた、「利は義の和」であり、「義は利の本」であるという牢固たる信念・見識がある。いかにすることが義かということを積んでいって、はじめて本当の利を得るということである。そして「利に放って行へば怨多し」とされる。利を主たる目的として行動すれば必ず矛盾衝突が起こるというのである。安岡は、そういう信念や見識が中国の歴史・思想・学問にはっきり現れており、日本の財界人は特に心得ておかねばならぬ点であると述べている。
その日本の財界人の象徴的存在であった松下幸之助は「大義」というものを重んじ、「指導者はまず大義名分を明らかにしなくてはならない」とした。
彼は著書『指導者の条件』において、近江の小谷城主浅井長政の例をあげている。長政は織田信長の妹婿で、大いにその信頼を得ていた。しかし、信長が浅井家と旧交のある越前の朝倉氏を攻めたとき、突如兵を起こしてその背後をつこうとした。そのため窮地に陥った信長は、木下藤吉郎の決死の働きなどにより辛くも京都へ戻った。
浅井家には、「信長との姻戚関係は別としても、彼は常に朝廷をいただき、天下万民のためという大義名分を唱えて戦っています。それに対して、ご当家のしようとしているのは、いわば小義の戦いです。もし朝倉家との旧交を捨てるに忍びないならば、むしろ朝倉家を説いてともどもに信長の公道に従うべきではないでしょうか」と諫める重臣もいたが、長政はそれを聞き入れなかった。そして最後まで信長に敵対し、最後は滅亡してしまったのである。
浅井長政は、優秀な武将であり、終始堂々と戦って立派な最期を遂げたという。しかし、結局は周囲の諸国から孤立し、滅亡を招いてしまった。その大きな原因とは、家臣が指摘したように、十分な大義名分というものを持たなかったからだろう。一方の信長は早くから、乱れた天下を統一し、朝廷を奉じて、万民を安心させることをめざした。かつ、それを唱えていた。そうした大義名分が、戦国の世に疲れた人々の共感を呼び、家臣たちもそこに使命感を感じ、働き甲斐を持って全力を尽くしたのである。
信長に限らず、また日本のみならず、古来より名将といわれるような人物は、合戦に当たっては必ず大義名分を明らかにした。
「この戦いは決して私的な欲望のためにやるのではない。世のため人のため、大きな目的のためにやるのだ」ということを明確に示し、人々の支持を求め、部下を励ましたのである。『指導者の条件』には、「いかに大軍を擁しても、正義なき戦いは人々の支持を得られず、長きにわたる成果は得られないからであろう」と書かれている。
そして松下幸之助は、これは決して戦の場合だけではないと述べている。大義名分というといささか古めかしいけれども、事業の経営にしても、政治における諸政策にしても、何をめざし、何のためにやるということを自らはっきり持って、それを人々に明らかにしていかなくてはならない。それがリーダーとしての大切な務めだというのである。
私は冠婚葬祭互助会の社長を務めている。会員様に結婚式や葬儀を安価にあげていただくために、毎月いくらかの会費をおあずかりしており、当然、会員様を募集する営業部隊もある。私が常に営業スタッフに言っていることは、この仕事は商売というより人助けであるということ。
特に、葬儀においてそれが言える。「礼」という人の道を重んじた儒教は孔子によって始まったが、孔子の死後、約100年後に孟子が出現し、何よりも「親の葬礼」を人の道の第一に位置づけた。人生で最も大切なことは、親のお葬式をきちんとあげることなのだ。逆に言えば、親のお葬式をあげられなければ、人の道から外れてしまうのである。人の道から外れるほど悲惨なこと、気の毒なことはない。世の人々が人の道から外れることを防ぎ、堂々と人の道を歩んでいただくお手伝いをすることほど、義のある行為はないかと心の底から思っている。
互助会の会員様を募集すること、また解約希望者を説得して思いとどまっていただくこと、これはそのまま人助けにつながる。当社の活動には大義があると信じている。
最後に、ドラッカーが力説した「真摯さ」とは明らかに「正義」に直結していると言えよう。