交
「交のマネジメント」~相手を意識し、真実の交わりを知る
現代のマネジメントにおいて、コミュニケーションの持つ重要性は高まる一方である。日本の社会そのものが集団主義から「個の重視」「自己責任」へと大きく舵を切っている。「個」の力が重視されるようになると、自分をいかに表現するかが大事なスキルとなり、いわゆるコミュニケーション力が注目される。
コミュニケーション力を平たく言うと、相手の目線に合わせて、相手のことを想い、相手に通じる手段で物事を語りかける能力と言えるだろう。自分の考えを正確に伝えるだけでは、コミュニケーションとは言えない。相手の理解度がどの程度かを考え、また、相手の興味や関心が今どこにあるのかをつかみながら、相手の心の窓を開き、相手を動かしていくことが必要である。
当然ながら、使う言葉も重要な要素だ。ソクラテスは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」と説いた。コミュニケーションは、受け手の言葉を使わなければ成立しないのである。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない。ドラッカーも「受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行なうことはできない」と語っている。期待を知って、初めてその期待を利用できる。あるいは、受け手の期待を破壊し、良きせぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックの必要を強調した。
また、普段から、社員や部下が何を考えているかを知らなければならず、そのためには飲ミ二ケーションも大切である。しかし、別に高価な酒場に行く必要はない。居酒屋や屋台で十分だし、さらには、外に飲みに行く必要さえないと言える。京セラにはコンパという伝統があり、ここにおいて平成の経営の神様・稲盛和夫氏の考えは伝えられ、気心もよくわかるようになったという。京セラのコンパとは、稲盛氏と社員が車座になって、仕事や人生をともに語り合う社内の飲み会である。
そして、社交というのもマネジメントにおいて問題となる。昔から、良くない交わりのことを「五交」と言った。第一は、権勢で交わる勢交。第二は、賄賂で交わる賄交。第三に、思想やイデオロギーで交わる論交。第四には、窮交といって、困った時に何とかその窮地を脱しよう、と然るべき人間に取り入って交わる。最後に、あちらとこちらを天秤にかけて、都合のよい方と付き合う、これを量交と言う。以上が「五交」で、こういう本当でない交わりに対して真実の交わり、裸の付き合いを「素交」と言う。
安岡正篤は五交を戒め、素交を奨励しているが、『三国志』をよく読むと、素交というものの大事さがよくわかると述べている。