平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #018

「敬のマネジメント」〜部下から尊敬される上司になれ

 

 江戸時代の儒者・中江藤樹は、人間の人間たるゆえん、人心の最も大事な要素は「愛」と「敬」にあると言った。これは今日においても、やはり大事な根本原理だが、藤樹は特に敬というものを重んじた。
愛は普遍的なもので、人間ほど発達してはいないが、動物も持っている。しかし敬は「天地の為に心を立つ」という造化の高次の働きであって、人間に至ってはじめて発達してきた心である。人間が理想に向かって少しでも進歩向上しようと思えば、必ず敬の心が湧く。湧けばまた進歩向上することができる。これによって人間は人間たり得るというのだ。
藤樹と同じ陽明学の流れに位置する安岡正篤によれば、敬があるということはお互い感心しあうということだという。夫婦はお互い感心しあわなければいけない。ということは単なる肉体的・功利的関係では駄目だということで、純人間的関係、つまり精神的関係になってこなければ敬は生まれてこない。
その点で日本語が興味深いのは、日本人は「愛する」ということを「参った」と言う。LoveとかLiebenとか世界にはたくさん愛するという言葉があるけれども、日本語が一番発達している。そもそも「参った」ということは「敬する」ということだ。男が女を、女が男を尊敬してはじめて「参った」と言う。単なる愛ではない。
勝負をしてもそうだ。負けたときに発する言葉は世界中たいていどこも同じで、「こんちくしょう!」とか「糞くらえ!」とかロクなものがないが、日本人は「参った」と言う。相手を敬して、負けて頭を下げる。
親子の間も同様だ。親は子に参り、子は親に参らなければならない。ことに親と言っても、父母には自ずから分業があり、母は愛の対象、父は敬の方を分担するようにできている。安岡は、「子どもを偉くしようと思えば、まず親父が敬するに足る人間にならなければならぬ。これが一番大事なことです」と言っている。組織においても、上司と部下は互いに敬しあう関係にならなければいけない。
そして、「敬」とともに大事な人間の基本に「恥」がある。孟子は「恥ずる心ほど人間にとって大切なものはない」と言っている。恥じる心を持っていると、自ら省みて精進するようになり、やがては聖賢の域にも達することができるが、これを失うと、精進もせず、そのために禽獣に陥ってしまうからである。したがって恥じる心を起こすということは、過ちを改めるうえに最も大事なことなのだ。