平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #059

「時のマネジメント」~時間とは人間の生命そのものである

 

ピーター・ドラッカーは、こう言った。
「成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく、時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして最後に、限られた自由な時間を大きくまとめる」
成果をあげるためには時間からスタートすべきだというのは、時間が最も不足しており、限界のある資源だからである。それは資金や人のように新しく調達したり、雇用したりできないうえに、簡単に消滅し、かといって蓄積できない。また、その代わりになるものがない。しかし、時間はあらゆることに必要とされ、すべての仕事が時間のなかで行なわれ、時間を潰すのである。
ドラッカーは、こうも言った。
「時間こそは最もユニークで、しかも最も乏しい資源である。これが有効に管理されなければ、他の何ものも管理されない」
時間管理を考えるに当たって公私ともに大事なことは、「優先主義」と「重点主義」をとることである。その日、何を最優先させ、何に重点を置いて、時間を分割し、集中的に動くか。この判断を適切にすることを心がける。そうすることで、公の時間を仕事に貢献させ、私の時間を自身に貢献させることが可能になる。自分で判断した優先順位にしたがって重点的に投入することで、最大限、効果と効率のよい生かし方をしなければならないのだ。
考えてみると、人生とは時間を生きることである。一つひとつの時間の積み重ねが、人の一生である。時間とは生命そのものなのだ。
時間を守らない人がいる。その人が会議や待ち合わせの時間に遅れてくるとき、他人が被る迷惑は、計り知れないほど大きい。待たされる時間は、完全に「失われた時間」である。経営コンサルタントの山﨑武也氏は、時間を守らない人は信用できないだけでなく、「時間泥棒」と呼ばれても仕方ないと語る。それもこっそりと盗んだのではなく、無理やり強引に奪ったので「時間強盗」と言うに等しい。さらに、強盗された時間という財物は、いったん失ったら取り返すことのできない生命の一部であり、その意味では、約束の時間に遅れることは、待たせた人の生命の一部を奪ったのと同じことになる。そうなると、時間強盗どころか「部分的殺人」の罪と断ずることもできるのである。肝に銘じよう。