平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #072

「実のマネジメント」~自己実現をめざすのが人間である

 

何よりも人間に関わるマネジメントにおいては、「生きがい」というものが重要な問題となる。人間の生きがいについて、英文学者というより現代の賢者と呼べる渡部昇一氏が、名著『「人間らしさ」の構造』で一つのたとえをあげている。
ここに一個のどんぐりがあるとする。そのどんぐりにとっての生きがい、つまり本望は何だろうか。それはコロコロと転がって池に落ち、そこでドジョウに見守られながら腐ってしまうことではあるまい。また石の上に落ちて乾上がってしまうことでも、鳥か何かに食べられてしまうことでもあるまい。どんぐりの生きがいは、しかるべく豊穣な地面に落ちて、亭亭たる樫の木になることだろう。
どんぐりを割って、いくら顕微鏡で調べてみても、そのなかに樫の木の原型は見えない。
しかし、しかるべき条件に置かれれば、やがて芽が出て、何十年後には大きな樫の木になるのである。つまり、どんぐりのなかには樫の木になる性質が潜在していると言ってよい。
同じことは人間についても言える。人間の女性の子宮のなかで、卵が受精すれば受精卵となる。この受精卵を取り出して百万倍の電子顕微鏡で見ても、そこに人間は見えない。しかしこの受精卵は、しかるべき条件に置かれるならば、やがて小さな赤ん坊になる。したがって受精卵という微細な蛋白質か何かの粒のなかには、将来、1.5メートル以上の人間になる可能性が潜在していることになる。受精卵にとっての生きがいは、堕胎されたり、流産になったりして、下水に流されて、汚水処理場で他の汚物と一緒に処理されてしまうことではなくて、ちゃんとした人間になることだろう。
ここまでは、どんぐりも人間も同じことである。ところが人間には、生物的存在としての肉体の他に、自意識とか、心とか、精神と呼ばれるものがある。受精卵の生物的生きがいは人間に成長することでよいだろうが、この心のほうの生きがいはどうなるのだろうか。
マズローなどの心理学者は、「自己実現」という言葉を唱えた。どんぐりが樫の木になるのも自己実現であるし、受精卵が人間になるのも自己実現である。どんぐりも可能性のかたまりであるし、受精卵も可能性のかたまりだ。私たち人間も、自分の可能性を展開しているときに生きがいを感じるのだし、自己実現は生きがいそのものと言ってよい。そして、会社や仕事を自己実現の場とすること、そこに生きがいを感じさせること、それこそがハートフル・マネジメントの核心である。