平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #117

「識のマネジメント」~借金してでも心を肥やせ

 

リーダーには、当然ながら常識や知識が求められる。そして、豊かな知識は教養へと進化する。ドラッカーは、21世紀社会は知識社会であると述べた。たしかにその通りだろう。しかし、一般に考えられている知識社会の「知識」は「情報」に近いニュアンスではないだろうか。それでは不十分だ。本当の「知識」とは「教養」につながるものでなければならない。
ドラッカーは「マネジメント」という概念を発明した人だが、「マネジメントとは伝統的な意味における一般教養である」と述べている。それは、知識、自己認識、知恵、リーダーシップという人格に関わるものであるがゆえに教養であり、同時に実践と応用に関わるものであるがゆえに教養であるというのだ。
特にリーダーには、教養というものが欠かせない。安岡正篤によれば、中国の歴史では『三国志』が面白く、日本の歴史では幕末維新の話が面白いという。なぜ面白いかというと、その前の時代である後漢200年と徳川260年が世界史でも最高の文治社会だったために、登場人物がすべて一流の教養人であり、彼らの言葉のやりとりにすべて含蓄があり教養があるからだそうだ。
後漢の初代光武帝は「天下いまだ平らかならざるにすでに文治の志あり」と言われた人で、学問を大いに奨励したのみならず、全国にすぐれた学者や賢人を求めて政府に登用した。そのために、『後漢書』は教養書として後世珍重されたのである。
江戸時代もまた、大坂城落城の後は武をもって立つ道が閉ざされたため、学問だけが出世の道となった。どんな貧しい書生でも勉強さえすれば、新井白石や荻生徂徠のように国の政治をあずかる立場にも立てる社会だったのである。だから、若者の知識への貪欲さはその後の時代とは大きく違ったのだ。いま、注目されている「江戸しぐさ」には「お心肥」という素晴らしい言葉がある。江戸っ子の真髄を示している含蓄のある江戸言葉だが、頭の中を豊かにして、心を豊かにする、つまり教養をつけるというのがその意味である。
教養は人間的魅力ともなる。カエサルは古代ローマの借金王だったが、原因の一つは、自身の書籍代だったという。当時の知識人ナンバーワンはキケロと衆目一致していたが、その彼もカエサルの読書量には一目置いた。当時の書物は、高価なパピルス紙に筆写した巻物である。当然ながら高価であり、それを経済力のない若い頃から大量に手に入れたため、借金の額も大きくなっていったのだ。
カエサルは貪欲に知識を求めたのであり、当然、豊かな教養を身につけていたに違いない。人類史上最もモテた男の一人と言われる彼の魅力の一端に、その教養があったのである。
人格を高め、人間的魅力をつくる教養。教養は人間の心を肥やすもの、すなわち心の栄養、心のカロリーでもあるのだ。大いに心を太らせて、ハートフル・リーダーになりたいものだ。