平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #131

「老のマネジメント」~長老の役割と大切さ

 

以前ローマを訪れたとき、ベストセラー『ローマ人の物語』の著者である作家の塩野七生氏にローマ人たちの「老い」について質問したことがある。いったい、あれほどの繁栄を極めたローマ人たちは高齢者をどう見ていたのか。
答えはこうだった。17歳から45歳まで兵役が義務づけられていたローマ帝国においては、老人は文字通り「健康な精神は肉体に宿る」という理念を体現した人と見られていた。戦争の絶えなかったローマにおいて、幾多の戦闘をくぐり抜けて生き残ってきた老人たちは、それだけで強い肉体と意志と勇気と知恵をあわせ持った理想の人間として尊敬を受けていたという。そして、ローマ人たちの多くは、45歳を過ぎてから、政治家になって国家の要職についたり、商売をはじめたり、それぞれが豊かな第二の人生を歩んだとのこと。
「パクス・ロマーナ」と呼ばれるローマの平和な時代は、高齢者にとっても生きがいの持てる幸福な時代であった。
日本において「パクス・ロマーナ」のような平和な時代を求めるなら、何と言っても270年の長きにわたって続いた江戸時代があげられる。江戸時代こそは、日本史に特筆すべき「老い」が価値を持った社会であった。儒教に基づく「敬老」「尊老」の精神が大きく花開いた。
徳川家康は、75歳まで生きたことで知られている。当時の平均寿命から考えると、老人として生きた時期がものすごく長かったわけである。当然ながら、家康は「老い」というものに価値を置いた。幕府の組織を作るにあたっても、将軍に次ぐ要職を「大老」とし、その次を「老中」とした。それぞれの藩でも、藩主を支える「家老」がいた。家康がいかに「老い」を大事にしていたかがよくわかる。また、江戸の町人たちも古典落語でおなじみのように横丁の隠居を尊敬し、何かと知恵を借りた。江戸には、旦那たちが40代の半ばで隠居してコミュニティの中心となる文化があった。
江戸にしろ、ローマにしろ、「老い」に価値を置き、高齢者を大切にする社会ほど長続きすることを歴史は証明している。社会でも会社でも、若者がいて年長者がいて、はじめて健全であり、成り立ってゆくとされる。
ところで、世間を大きく騒がせた「ライブドア事件」はなぜ起こったのか。いろいろと原因はあるだろうが、私はこう思う。ずばり、ライブドアには会長や相談役がいなかったからではないか。つまり、あの会社には人生の経験豊かな年長者がいなかったということ。30代前半の社長のホリエモン以下、みんな若かった。平均年齢も低かった。そのぶん、年代の厚みがなかった。アクセルを踏む若者ばかりで、ブレーキ役がいないとどうなるか。暴走ゆえに崖から転落する運命が待っているのである。