平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #140

「花のマネジメント」~この世のものにしては美しすぎる天上の美

 

冠婚葬祭業というのはとにかく花と縁が深い仕事である。結婚式には、たくさんの花を飾る。雛壇に飾り、列席者のテーブルに飾り、花嫁の髪に飾る。いま、「花嫁」といった。そう、花嫁とは人間の花なのである。それは、花嫁ほどの華やかさはないにせよ、「花婿」も同様だ。
なぜ日本では、新郎新婦の呼び名に「花」をつけるのだろうか。それは、新郎新婦が「いのち」のかたまりだからである。若々しい生命力に満ちあふれており、近い将来、子どもという新しい「いのち」を生み出す力を持っているからである。そして、花こそは「いのち」のシンボルそのものなのだ。
日本は農業国である。古代、日本は葦の国であった。稲の種子を持った民族が、葦の生える国を求めて大陸から移ってきたとされている。葦は古代の日本人の生活に大きな影響を与えた。さらには、この世に最初に生まれたものが葦であるとさえ考え、それを『古事記』に記している。その葦の花は、神々を呼ぶ神具としての御幣になった。また、薄原をひらいて耕作してきた畑作の地域では、薄の花を御幣とした。葦の花や薄の花は、収穫祭のころに空に飛び立つ。以後、大地は枯死する冬を迎える。
枯死していた大地を復活させるのは、桜の花をはじめとした春の花々である。古代の日本人は、花の活霊が大地の復活をうながすと信じていた。この農業国を支配する王は、花の活霊を妻とし、大地の復活を祝福し、秋の実りを祈願する祭礼の司祭となった。この国の王は、何よりも花祭という「まつりごと」を司ることに任務があった。政治を「まつりごと」というのは、その歴史から来ている。
それはともかく、花は活霊、すなわち「いのち」そのものなのだ。だから、病人には花を贈るのである。「いのち」を贈って、早く元気になってほしいというメッセージなのである。そして、「産霊」という言葉があるが、これは二つの「いのち」が合体を果して新しい「いのち」を生み出すこと、つまり結婚を示す。これから子どもという実りを授かるであろう新郎新婦は、かくして「花」に見立てられたわけだ。
なぜ日本では、新郎新婦の呼び名に「花」をつけるのか。他にも理由がある。それはやはり、結婚したばかりの若い二人は美しいからだ。幸福の絶頂にあってキラキラと輝いており、文字通り「花」があるからである。
日本語には、「花嫁」や「花婿」の他にも、「花形」や「花道」といった花にまつわる言葉がある。相撲や芝居で花形に与えるお金も「花」と呼ぶ。力士や役者への心づけを「花」というのは、まず見物のときに造花を贈って、翌日お金を届ける習慣から来たそうである。歌舞伎の「花道」も、ここを渡って客が役者に花を贈ったことから、この名がついたわけだ。「花形役者」は、客から花を贈られるほどの才能の持ち主というのが本来の意味である。
また、芸者や遊女と遊んだ料金を「花代」という。これも、花に代わるものとしての金銭という意味である。どの言葉も、遊芸者と客のあいだの花のやりとりに起源があることに気づく。これは、もともと花が御幣として神々を呼ぶ力を持っていたことにも関係がある。力士にしろ、遊女にしろ、遊芸者とは神々の代理人という役割があったわけだ。彼らは人間界の「花」だったのである。しかし、何よりも人間界の「花」といえば、役者に尽きる。現在でも芸能人のことをスターと呼ぶが、かつては役者のことを「花」と呼んだのだ。
江戸には三つの花があった。火事と喧嘩はあまりにも有名だが、もう一つの花とは何か。それは、歌舞伎役者の市川団十郎であった。当時の江戸ッ子たちは、口々に団十郎を「江戸の花」と讃えたのである。
花について、わたしがいつも思うことがある。それは、花はこの世のものにしては美しすぎるということ。 臨死体験をした人がよく、死にかけたとき、「お花畑」を見たと報告している。きっと、花とはもともと天国のものなのだろう。天上に属する花の一部がこの地上にも表れているのではないか。そうでないと、ただならぬ花の美はとても理解できない。
葬儀の場面でも多くの花を飾る。芸術のことを英語で「ART」というが、わたしは、つねづね葬儀こそはARTそのものであると思っている。「ART」とは天国への送魂術である。すばらしい芸術作品に触れて心が感動したとき、魂が一瞬だけ天国に飛ぶのだ。肉体はこの地上に残したまま、精神だけを天国に連れてゆくのである。絵画や彫刻などはモノを通して、いわば中継地点を経て天国に導くという間接芸術であり、音楽こそが直接芸術であると主張したのは、かのベートーヴェンだ。芸術とは天国への送魂術なのである。
もうおわかりのように、葬儀というセレモニーこそは「ART」そのものである。なぜなら葬儀とは、人間の魂を天国に送る「送儀」であり、人間の魂を天国に引き上げるという芸術の本質をダイレクトに行なうものだからである。かつ、直接芸術たる音楽をはじめ、あらゆる芸術ジャンルを駆使する総合芸術でもある。その中でも、もっとも重要な役割を果たすのが花だ。なにしろ、この世に存在するものの中で、花だけがあの世のものなのだから。