禅
「禅のマネジメント」~死んでもいいと思える覚悟を持つ
ドラッカーが言うように、マネジメントとは、何よりも人に関わるものである。その最大のポイントは人の心がわかることにつきるが、他人の気持ちを理解することに関して、人類史上で最も優れていたのは我が国の武家政権ではないだろうか。
徳川家康が儒学を重んじてからは、武士たちの心には儒教的世界が広がったが、それ以前は、何と言っても禅の影響が大きい。禅は、鎌倉時代の末期に栄西が宋から日本に伝えたものである。以来、室町、戦国、江戸、明治維新と、禅は武家社会に大きな影響を与えてきた。そして特定の禅僧と武士とのあいだに師弟関係なるものができて、武士の軍略や治世、生き方を決定づけることになった。
代表的な例としては、源実朝と栄西、北条泰時と明恵、北条時頼と普寧・道元・聖一、北条時宗と無学祖元、楠正成と明極楚俊、足利尊氏と夢窓疎石、武田信玄と快川紹喜、上杉謙信と益翁宗謙、伊達正宗と東嶽、前田利家と大透などが挙げられる。江戸時代になると宮本武蔵や柳生但馬守と沢庵の関係が有名だが、盤珪、鈴木正三、白隠、東嶺なども武家社会から多大の尊崇を受けた。武士がこれら禅僧を慕って教えを乞うたわけである。さらに幕末から明治維新にかけては、西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟など回天の役割をした武士も禅を究めた。
武士は禅僧から何を学んだのだろうか。人には、「いったい何のために生きているのか」と、ふと感じるときがある。禅は、言葉でそれに答えることはない。しかし、内なる「智恵」を導き出してくれる。
現代の禅僧を代表する玄侑宗久氏は、著書『禅的生活』で述べる。たった今あなたが息をしている瞬間こそ、すべての可能性を含んだ偉大なる瞬間である。日常のなかでこそ「お悟り」で得られた「絶対的一者」が活かされなくてはならない。過去の自分はすべて今という瞬間に展かれている。そして未来に何の貸しもない。そのことを心底胎にすえて生きれば、いつどこで死んでもいいという覚悟にもなる。「人間、到る処青山あり」の青山は、「死んでもいいと思える場所」のことだ。決して青山墓地のことではないのである。
鎌倉以降、武士たちの心をとらえた禅の魅力は、おそらくこの辺りにある。そして、それは現代のリーダーとて同じことだろう。私は、超売れっ子作家でもある玄侑氏に自著の文庫版の解説を書いていただいた御縁があり、氏の禅に関する著書を繰り返し読んで、少しでも禅の心を知りたいと思っている。