平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #078

「水のマネジメント」~水の流れのごとく自然に生きる

 

水といえば、アレクサンダーのエピソードが思い浮かぶ。1812年7月にナポレオンの大陸軍がモスクワに向けて進軍し、11月に撤退したあの悲劇の遠征まで、アレクサンダーが1600キロに近いゲドロシア砂漠を越えるのに費やした60日間ほど軍隊が恐ろしい苦難に直面したことはなかった。暑い10月の太陽に照らされながら、兵士と将兵が砂漠を進むにつれて、ひどい惨劇が繰り広げられた。蹉跌のない馬などの駄獣の多くは、餌も水もないまま砂漠に倒れた。兵士は死んだ動物を切り刻んで食べた。落伍者はさらに困難な事態に直面した。本隊の兵士が食料を手にしたころ、彼らのために残されたものは、あっても僅かでしかなかったからだ。
しかし、この困難な旅のなかでも、アレクサンダーは兵士たちの心をつかんだ。何人かの兵士がなけなしの水を兜に入れて、喉をうるおすようにとアレクサンダーのところに持ってきた。兵士たちは、アレクサンダーが楽をするどころか、軍勢の先頭に立って馬にも乗らずに砂地を徒歩で進んでいることを知っていたのである。しかし、その貴重なもらった水をアレクサンダーは砂漠に撒いたのである。そして、「君たちのおかげで喉の渇きは癒えた」と言ったのである。兵士たちが飲めないのであれば、水を飲むつもりはなかったのだ。その後、軍全体がすっかり元気を取り戻し、彼が捨てた水がすべての人の喉の渇きを癒したと思われるほどだったという。いくらリーダーとはいえ、極限状態で水を捨てるなど、とてもできることではない。やはり、アレクサンダーは「王の中の王」であった。
日本では、柴田勝家のエピソードが有名だ。敵方が彼の城を攻めているとき、ただ城内に3つの大甕の水だけが残されていた。勝家はその大甕を庭に引き出させ、城兵に順次一杓ずつすくって飲ませた。あと、水はなかば残っていたが、勝家はなぎなたをふりあげ、石突でもって大甕を次々と割った。割り終わってから、「もはや水はない。あとは死のみである」と言い、夜陰、城門を開いて突出し、10倍ほどの敵をたちまちに潰乱させた。彼はこのときから、「甕割り柴田」の異名を得た。
アレクサンダーや勝家のエピソードにおいて、水は命そのものである。命の水を断ったとき、人は死を意識し、残りの生において前進する強い覚悟が生まれるのである。
だが、水の世界はもっと深い。人は性向において、中庸であることが望ましいが、「水は方円の器に従う」という言葉がある。水は、相手が四角でも円でも、躊躇することなく、自分を相手に合わせていく。これは驚くべき性質であり、しかも、その水の本質は少しも揺らぐことがない。四角になろうが丸くなろうが、あくまで水は水なのである。
さらに驚くのは、水は低い方に流れて行くことだ。上昇指向ではなく、むしろ下方に行こうとする。それでいて自由自在に、自らの形態を変化させて行く。
いつの時代からか政治家や経営者などの指導者層に親しまれ、その信奉者もきわめて多いと思われるものに「水五即」という不思議な文献がある。王陽明をはじめ中江藤樹、熊沢蕃山、黒田孝高など、そうそうたる人物が書いたのではないかと推測されているが、依然として作者不明の謎の文献である。
「水五則」の第一則は、「みずから活動して、他を動かしむるは、水なり」。太平洋戦争の連合艦隊司令長官・山本五十六の遺した「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」の言葉は、人を動かす秘訣を示した至言であろう。水は高い方から低いほうへ流れる性を持つゆえ、進路通りに進みやすいように、動きやすいように条件を整備することが必要だ。そして水は後ろから押されて進む。この機能は「ほめる」「励ます」ことに他ならない。
第二則は、「常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり」である。他人を教えることは、自分を教えることである。例えば、五つの事柄を相手に理解させるには、自分自身がその3倍の15をマスターしていないと、相手を納得させる指導はできない。他人を指導すると思っていたのが、実は自分を向上させる縁なのである。「教えるとは学ぶこと」という真理を。試行錯誤を重ねてジグザグに進み流れる水に学び、「あれは自分の姿だ」と自己を投影させることが大切だ。
第三則は、「障害にあって、激しくその勢力を百倍し得るは、水なり」。ブッダの人生観は「精進」の二文字に尽きる。彼が自らの死に臨んで遺した言葉が「人々よ、まさに精進するがよい。精進するなら、たとえ、わずかな水の流れでも流れづめに流れるなら、石に穴を開けるように、事として成らぬことはない」で、水にたとえて精進を薦めている。
第四則は、「みずから潔うして他の汚濁を荒い、清濁あわせいるる量あるは、水なり」。これは老子の「和光同塵」に通じる。自分の才知を隠して、世間の人や習慣に交わるという意味だ。道教の和光同塵の思想は、神道の神と仏教の仏との神仏同体説である「本地垂迹」説とも結びつく。
そして第五則は、「洋々として大海を満たし、発しては霧となり、雨雪と変じ霰と化す。凍っては玲瓏たる鏡となり、しかも、その性を失わざるは、水なり」である。これは明らかに「水の本地垂迹」であり、「水の和光同塵」である。このように「水五即」は単なる人生訓ではなく、老子の言う無為自然の道を、水を通じて説いているのだ。水、おそるべし。