平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #030

「徳のマネジメント」〜心を貯金して、事業を徳業にする

 

 「徳」とは何か。
安岡正篤によれば、「徳」とは宇宙生命より得たものであり、人間はもちろん一切のものは徳のためにある。徳は「得」である。また私たちの徳の発生する本源、己れを包容し超越している大生命を「道」と言う。
だから道とは、これによって宇宙や人生が存在し、活動している基本となるもの、これなくして宇宙も人生も存在することができない、その本質的なものが道で、それが人間に発して徳となる。これを結んで「道徳」と言う。したがって、そのなかには単に道徳のみならず、政治も宗教もみんな含まれている。非常に幅の広い言葉なのである。
その私たちの徳にはさまざまな相があるが、その一つに意識というものがある。私たちの意識される分野はごく少しで、例えば光なら赤・橙・黄・緑・青・藍・紫などの七色の色域(しきいき)しか受け取れない。しかし、光そのものは無限である。私たちのこの意識の世界がいわゆる「明徳」であり、その根底には自覚されない無限の世界がある。老子はこれを「玄徳」と言っている。
海面に出ている氷山の下には、それの八倍のものが沈んでいるという。ちょうどそれと同じで、有の世界、明の世界の下には潜在している徳、すなわち無意識の世界がある。これを無の世界と言うと誤解を招くので、無や虚という言葉を使いながら、道教ではよく「玄」という字を使う。
しかし、儒教は自己を修め人を治める現実の学問である。もちろん、玄徳の世界を無視するものではないが、とにかく、そのよって立つ基礎は意識にのぼり、感覚でとらえる世界、知性や理性によって把握する世界、すなわち「明徳」の世界である。その明徳が何であるかを解明するのが「明明徳」である。
明徳を明らかにするとは、私たちの持っている能力を発揮することで、明徳を明らかにしようと思えばかえって玄徳に根ざさなければならない。それによって初めて明徳を明らかにすることができ、そこで哲学や信仰が必要になってくる。したがって、孔孟の学と老荘の学はあるところまでゆくと必ず一つになるのだ。わざわざ儒教・道教と二つに分けるのは本当のことが解らない証拠である。
安岡正篤はまた、人間としての二大要素というものを説いた。人間にとって、道や真理ほど大事なものはない。人間には根本的に四つの大事な要素があり、もっとつきつめると二つの要素になる。第一は、これを失ってはもう人間が人間でなくなるという本質的要素。第二は、それに付随した属性・附属的なものである。
第一の人間としての本質的要素とは何か。これは「徳性」というもので、平たく言えば、素直で、明るく、清い。人を愛し、助ける、人のために尽くす、あるいは報いる。また、いかなることにも堪える、忍ぶ。したがって、努める、努力する。こういうものはいわゆる徳目というもので、数えれば限りがないが、これらが人間の人間たる所以の徳であり、これがなければ人間ではないのである。
第二の属性とは何か。人間が直立歩行するまでには悠久の歳月を費やしたが、手が発達するにともなって知能や技能というものが発達してきた。そして知識や技術と、これにともなう文明というものが発達してきた。
よくそういう点だけから考えて、知能・技術が人間の本質であると考える人が多いのだが、決してそうではない。これは人間にとってどんなに大事であり、どんなに立派であっても、あくまでもそれは附属的性質のもの、つまり属性だ。
安岡はその証拠に次のような例えを持ち出す。吉田松陰や西郷隆盛は、地球は自転しながら太陽の周囲を公転しているということも知らず、昔ながらに日が東から出て西に沈むということくらいしか知らない人間である。「だから彼らは馬鹿だ」と言う人間がいたとすれば、おそらく言う人間の方がよほど馬鹿だと思われるだろう、と。人間としての本質は、日進月歩の知識だの技術だのというものではなく、あくまでも徳にあるのだ。
そして、徳で大事なことは「陰徳」を積むということだ。古代中国の学者・淮南子の言葉に「陰徳ある者は必ず陽報あり、陰行ある者は必ず昭名あり」というのがある。人知れず善行を積んだ者には、必ず天があらわに幸福を報い授ける。また隠れた善行のある者は、必ずいつかは輝く名誉があらわれてくるのだ。
陰徳を積むとは、心を貯金することである。
「心に貯金」ではなく、「心を貯金」。私たちの心そのものを、つまり人間の元金を積んでいくことなのだ。黙々と人知れず徳を積んでいくと、誰かが手伝ってくれるようになる。すると、自分が努めた以上に「徳高」が知らない間に上昇していることを感じるのである。
人のみでなく、事業もしかり。『菜根譚』には「徳は事業の基(もとい)なり。いまだ基の固からずして、棟宇(とうう)の堅久なるものはあらず」という言葉がある。事業を発展させる基礎になるのは、その事業者の徳である。基礎が不安定な建物が堅固であったためしはない。一人ひとりが立派な人間になるために「個人の徳積み」をするように、事業にも「徳積み」が求められる。仕事や事業を成功させ、社会に貢献する。すべての経営者は、自己のみならず事業の徳を積み、広く世間から尊敬されるような徳のある事業、すなわち「徳業」をつくらなければならない。