平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #019

「和のマネジメント」〜主体性を保ちながら他人と協調する

 

 「和」は日本文化のキーワードである。安岡正篤によれば、日本の歴史を見ると、日本には断層がないことがわかるという。文化的にも非常に渾然として融和している。
征服・被征服の関係においてもそうだ。諸外国の歴史を見ると、征服者と被征服者との間には越えることのできない壁、断層がいまだにある。しかし日本には、文化と文化の断層というものがない。早い話が、天孫民族と出雲民族とを見てみると、もう非常に早くから融和してしまっている。
三輪の大神神社は大国主命、それから少彦名神を祀ってあるが、少彦名神は出雲族の参謀総長だから、本当なら惨殺されているはずである。それが完全に調和して、日本民族の酒の神様、救いの神様になっている。その他にも『古事記』や『日本書紀』を読むと、日本の古代史というのは和の歴史そのものであり、日本は大和の国であることがよくわかる。
「和」を一躍有名にしたのが、かの聖徳太子だ。太子の十七条憲法の冒頭には「和を以って貴しと為す」と書かれている。十七条憲法の根幹は和というコンセプトに尽きる。しかもその和は、横の和だけではなく、縦の和をも含んでいるところにすごさがある。上下左右全部の和というコンセプトは、すこぶる日本的な考えだ。それゆえに日本では、多数少数に割り切って線引きする多数決主義、いわゆる西欧的民主主義流は根付かず、何事も根回しして調整する全員一致主義の国なのだ。
「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」とは『孟子』の言葉である。天の時、つまりタイミングは立地条件には及ばない。しかし、立地条件も「人の和」には及ばないという意味だ。人の和がなかったら、会社の発展もない。組織の結束力を高めることは、仕事を成功させることにおいて非常に大事なのである。
『孟子』が出てきたが、実は日本文化のキーワードである「和」はメイド・イン・ジャパンではない。聖徳太子の「和を以って貴しと為す」は太子のオリジナルではなく、『論語』に由来するのである。
「礼の用は和を貴しと為す」が学而篇にある。「礼のはたらきとしては調和が貴いのである」の意味だ。聖徳太子に先んじて孔子がいたわけである。
安岡正篤によれば、人間の意識が進むにつれて、喜怒哀楽の感情が発達するわけだが、その感情にいまだ発しないとき、すなわち一種の「独」の状態、これを別の言葉で「中」と言うそうだ。中が発してみな節に中=あたる、これが「和」というものである。私たちの意識を「気」という文字で表わすが、意識にもやっぱり意識の基本的なものがあるわけで、それは「気節」と呼ばれる。その気節を失わないのが「節操」である。音楽で言うならば、基本的な部分の音節が発して、すなわち音律となって、曲にあたり、これが和なのである。
『論語』にはもう一つ「和」が出てくる有名な語句がある。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」である。「和」とは、自分の主体性を堅持しながら他と協調すること。「同」とは、付和雷同のことだ。したがって、この言葉の意味は「君子は協調性に富むが、無原則な妥協は排斥する。小人は逆である。やたらと妥協はするけれども、真の協調性には欠けている」となる。
日本の社会では、昔から和が強調され、現在でもしきりに組織の和が唱えられている。しかし、孔子のこの言葉に照らしてみると、私たちの理解している和に問題がないわけではない。なぜなら、和が強調されるあまり、個人が組織の中に埋没する傾向が強いからである。また、全体の和に腐心するがゆえに確かな責任の追及ができない。あるいは、リーダーとしての責任ある判断や決断が振り回されて迷うなどなど。孔子に言わせれば、それは和よりも同に近い。結局、日本人は和と同を混同しているのである。
和が重視され、強調されるのは、それ自体は結構なことだ。だが、その前提として、一人ひとりの主体性がしっかりと確立されていなければならない。それがあって、初めて本物の和が生まれてくるのである。
そして「和」は「平和」につながる。中村天風は、和の気持ちというものこそ、平和を現実に具体化する唯一の根本要素であると語った。彼は、労使問題の紛糾や政党間の政争のようなものを例にあげ、ただ相互の利害関係にのみ重点を置いて、いたずらに条件本位の解決方法で平和を現実化しようとしても、絶対にうまく協調しないと断言した。
相互の心の中に少しでも「和の気持ち」があるならば、「思いやり」という、さらにレベルの高い心情が発露し、当然ながら条件本位などという、自分たちに都合のよいことばかりを考えるというレベルの低い心情が自然と抑制もしくは中和される。そして、相互の譲歩の限界は拡大され、苦もなく正しい協調が作られて、人類の生きる姿の中で最も貴いもの、すなわち平和が如実に具現するという。
ところが現実には、なかなか「和の気持ち」を持つことは難しい。ならば、どうすればよいか。天風は言った。「それは、何よりも、第一に個々の家庭生活の日々の暮らしの中に、真実の平和を築くことだ」と。
なるほど。たしかに家庭内の夫婦が不仲で、職場の和も世界の平和もあったものではないだろう。まず、原点は家庭の平和。「夫婦和合」とは、よく言ったものである。