平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #002

「仁のマネジメント」〜愛と思いやりこそ、すべての基本である

 

現代は高度情報社会である。世界最高の経営学者ピーター・ドラッカーは、早くから社会の「情報化」を唱え、後のIT革命を予言していた。ITとは、インフォメーション・テクノロジーの略だ。ITで重要なのは、I(情報)であって、T(技術)ではない。
その情報にしても、技術、つまりコンピューターから出てくるものは、過去のものにすぎない。ドラッカーは、IT革命の本当の主役はまだ現れていないと言った。本当の主役、本当の情報とは何か。情報の「情」とは、心の働きに他ならない。本来の情報とは、心の働きを相手に伝えることなのである。私が前作『ハートフル・ソサエティ』で述べたように、次なる社会とは、心の社会である。それは、ポスト情報社会などではなく、新しい、かつ真の情報社会なのだ。
そして、情報の「情」、心の働きを代表するものこそ、「思いやり」であると私は思う。
「思いやり」こそは、人間として生きるうえで一番大切なものだと多くの人々が語っている。たとえばダライ・ラマ14世は「消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます」と述べ、あのマザー・テレサは「私にとって、神と思いやりはひとつであり、同じものです。思いやりは分け与えるよろこびです」と語った。仏教の「慈悲」、キリスト教の「愛」、ギリシャ哲学の「アガペ」まで含めて、すべての人類を幸福にするための思想における最大公約数とは、おそらく「思いやり」という一語に集約されるだろう。
そして、儒教において、それは「仁」と表現された。よく知られているように、仁は儒教における最高の徳目である。孔子や孟子は、リーダーにとって最も必要なものは仁であると繰り返し強調した。
孔子は『論語』の中でさまざまな仁を唱えたが、現在における仁の一般的な解釈は、次のようなものだ。まず、『論語』に「樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す」とあるように、「仁とは何か」という弟子の質問に対して、孔子は「人を愛することだ」と答えている。
また、「生涯それだけを実行すればよい、一言があるだろうか」と弟子が尋ねたとき、孔子は「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と答えた。「恕」とは、まさに「思いやり」のこと。あるいは、曾参が「夫子の道は忠恕のみ」と述べた「忠恕」もこれと同じである。恕や忠恕は、仁に通じるのだ。
このように、孔子が唱えた仁の重要な側面として、愛とか思いやり、あるいは真心からの思いやりと表現できるものがあり、これは愛の仁=仁愛などと呼ばれている。
一方、勇気を持つことや一身を犠牲にしてでも物事が成就することを求める仁もある。自己を規制して規範を守る仁である。これは徳の仁=仁徳などと呼ばれている。つまり、孔子の唱えた仁の思想とは、主に「仁愛」と「仁徳」であったのだ。
そして、儒教とは「仁の道」「仁の教」であると言うことができる。仁は天地の・自然の生成化育の人間に現われた徳のことである。しかし、仁という言葉を誤解している人は多い。かつて医師会の某会長が「世の中が変わって、医は仁術などという時代ではない」と語ったけれども、陽明学者の安岡正篤などは「全くその意味が解っていない」と嘆いた。
「医は仁術」というのは、患者を憐れんで無料で診療してやるということではなく、患者の命を救う術ということだ。いくら無料診療をしてやっても、患者を殺してしまったのでは何にもならない。これでは「不仁」と言われても仕方ないのである。
また、「仁政」という言葉がある。仁政とは、人を生かす政=まつりごとである。景気をよくしたり、所得を多くしたり、あるいは公共の施設を充実させたり、国民が限りなく生成発展し、進歩向上してゆくように導く政治、これを仁政と呼ぶのだ。
江戸時代中期の傑僧として知られる白隠禅師は、甲州の武田家を絶賛していた。白隠禅師によると、甲州が強固になったのは「武力」ではなく「仁政」にあった。「仁」という字は人偏と二から成っている。これは、人は一人だけでは生きてゆけず、もう一人の他人があってはじめて人の世界は成り立つという意味である。例えば、親子、兄弟、師弟、友人同士など、すべては人と人との相互依存関係である。同様に、企業にも経営者と従業員の関係がある。また、取引先や株主といったステークホルダーとの関係がある。国も同じで、一国だけでなく、他の国があってはじめて世界が成り立っているのである。
何事も一つだけでは成り立たず、二つあってはじめて成り立つのだ。その二つがうまく調和し、共栄共存したときに生まれるものこそ「仁」である。よって仁政とは、為政者と民の関係が良好であることだ。自らの国司という立場と武将、足軽、民との関係をきっちり作り上げていった武田信玄の根底には、仁があった。信玄は、仁という言葉をいつも口にしていたという。
白隠禅師はまた「乱りに他国へ兵を動かすのは、強盗武士の常にするところである」と述べている。この基準によれば、他社のシマを平気で荒らして強引な営業戦略をとる企業なども強盗武士と言えるだろう。
慈悲や愛にも通じる仁は、優しく、母のような徳である。高潔な義と、厳格な正義を、特に男性的であるとするならば、慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えている。リーダーというものは、仁を重んじながらも、公正さと義で物事を計ることも大切である。むやみに慈愛に心を奪われてしまってはならない。伊達政宗は、そのことをよく引用される警句をもって「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」と的確に表現している。