平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #110

「奇のマネジメント」~大いなる可能性を秘める「奇」を尊べ!

 

日本人は「奇」を好むとされる。司馬遼太郎は、敵方の艦隊前でターンする東郷平八郎の奇策で日本海決戦を制したさまをドラマティックに描いた『坂の上の雲』に次のように書いた。「戦術の要諦は、手練手管ではない。日本人の古来の好みとして、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄(ほんろう)するといったところに戦術があるとし、そのような奇功のぬしを名将としてきた。源義経の鵯越の奇襲や楠木正成の千早城の篭城戦などが日本人ごのみの典型であるだろう」
この好みは江戸時代において最も発揮されたというが、幕末に生を受けた坂本龍馬も奇想天外な発想をした。倒幕計画にしても、龍馬のアイデアはあまりにも独創的すぎ、奇妙な考えとさえ言えた。浪人艦隊、つまり海援隊によって海運業を営む。その利益をもって倒幕資金とし、いざ戦うときには荷物をおろして砲弾を積み、その威力をもって天下に発言する。さらに、北海道に浪人陸軍を作り、それに浪人艦隊である海援隊と共同作戦をとらせて幕府に対抗する。
このような独特な方法は、奇妙な考え方とさえ言えた。作家の北影雄幸氏によれば、空理空論に走るのではなく、つねに現実に目を向け、そこから最も可能性の高い方法を見つけ出すのが龍馬の思想であるという。それを具体的に修正加工して、実践的な戦術を打ち立てる、きわめて具体性に富んだ思想であったというのだ。
奇想天外な龍馬の発想は、「大政奉還」に極まる。日本を武力革命の戦火から救い、外国の干渉を排除する唯一の方法として、彼が思案に思案を重ねて打ち出したのが、大政奉還論であった。それは、人民を革命の戦火から救い、徳川の名を後代に残し、幕府と朝廷の間で板ばさみの旧主山内容堂も助けることができる、まさに天下の奇手だった。
高杉晋作も、その名も「奇兵隊」なる人民軍を組織するなど奇想天外の人だった。しかし、龍馬のスケールにはとてもかなわない。司馬遼太郎は、龍馬を「維新史の奇蹟」と表現したうえで、『竜馬がゆく』に書いている。
「型破りといわれた長州の高杉晋作でさえ、それは性格であって、思想までは型破りではなかった。竜馬だけが、型破りである。この型は、明治維新を生きた幾千人の志士たちの中で、一人も類型を見ない。日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか」
龍馬は、とにかく日本のため、日本人のために思いつめて生きた。その結果、彼の奇蹟的人生が生まれた。私たちも、何か成し遂げたいことがあり、それが志あってのものならば、とにかくそのことの実現を思いつめるほど考え続けなければならない。そこから、奇蹟が生まれる。そして、「奇」が「オリジナル」や「オンリーワン」の代名詞だと知る必要がある。
「奇」という文字は「大」と「可」からできている。「奇」とは大いなる可能性なのだ。