平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #082

「感のマネジメント」~五感で感じれば、心は豊かになる

 

EQマネジメントなる言葉をよく聞いたり、目にしたりするようになった。EQ(Emotionarl Intelligence  Quotient)は、企業や組織の成果を大きく左右するものとして、近年、大きな注目を集めている能力である。
EQは「感情知能」「こころの知能指数」とも呼ばれているが、わかりやすく言うと、「この人なら、信頼できる」「この人と一緒に仕事がしたい」と感じる人間的魅力と言い換えることができよう。
人は論理だけでは動かないのである。EQの発揮は人間的魅力として行動に表われ、その人の周りには人材が集まり、組織のエネルギーを生み出し成果の出せる環境を作り上げる。「この人と仕事がしたい」「この人のために頑張りたい」。こう思わせる人の能力にはIQ(Intelligence Quotient)つまり知能指数だけでなく、EQという能力が大きく貢献している。
一方で、知識が豊富でスキルが高いにもかかわらず、「この人とは仕事をしたくない」と感じたり、一緒に仕事をすることが苦痛だった経験は誰にもあるはずだ。このようにIQがいくら高くても、EQの発揮が上手くできなければビジネスはもちろん、社会での成功は難しいと言える。
EQ理論は1990年にアメリカで生まれたが、日本では、1995年に刊行されたダニエル・ゴールマン著『EQ―こころの知能指数』がベストセラーになったことによって、一躍その名が広まった。その頃、冠婚葬祭会社の専務だった私は一読して大変感銘を受け、早速、能力開発室内にEQプロジェクト室を設置して社内研修を進めたことを思い出す。
冠婚葬祭業やホテル業といったホスピタリティ・サービス業のみならず、あらゆるビジネスにおいても他人と接するのであるから、こころの知能指数が求められるのは言うまでもない。そして、その根底にあるものは各人の感性の豊かさであり、さらには五感をフルに使って生きているかということに尽きるのではないだろうか。
説明するまでもなく、五感とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つの感覚器官を通して受ける感覚である。仏教では、眼・耳・鼻・舌・身の五識をいう。五感を使うなどと言うと、「ふだん見たり、聞いたりしていることではないのか?別に、ことさら問題にすることではない」と答える方も多いだろう。
しかし、果たして私たちは本当に見ていて、見えているのだろうか。あるいは、本当に聞いていて、聞こえているのだろうか。あなたは、自分の部下や後輩の顔にホクロがあることを覚えているだろうか。顔の右にあるか、左にあるか、それとも額にあるか。毎日見ていてもわからないというのは、やはり見ていないのである。意識されないホクロは見えないのだ。また、うわの空では、他人が何を言っても聞こえないだろう。音としては、確かに聴覚に入ってきているのだろうが、意識がこれをキャッチしていないのだ。はっきり言って、こういう人はEQの低い人である。
「耳の聞こえない人が聞こえることに感謝し、目の見えない人が世界にある恵みを悟る」とは、かのヘレン・ケラーの言葉である。19世紀に「人間界の奇跡」と呼ばれた人物が世界に2人いた。1人は、最下層の階級から出てヨーロッパを支配したナポレオン・ボナパルト、そしてもう一人がヘレン・ケラーである。彼女は現象的には。見えない、聞こえない、話せないという三重苦の世界にいたのかもしれない。しかし、誰よりも豊かな心の世界に生きていたのである。
彼女はあるとき、森を散歩してきた友人に「何を見てきたの?」と尋ねた。ところが、その友人は「別に何も」という返事をするだけだった。彼女は驚いた。一体そんなことがあるのか、と。
彼女は、“THREE DAYS TO SEE“という一文の中で、もし自分に3日間だけ「見る」ことが許されたら、何を見たいのか書いている。それによると、まず初日には、アン・サリバン先生を見る。それはただサリバン先生の顔や姿を見るのではなく、先生の思いやり、やさしさ、忍耐強さといったものを読み取るために「じっと見る」のだという。また、赤ん坊、親しい人々を見て、さらに森を散歩して、沈む夕日を見て、祈るという。
2日目の早朝は、雄大な日の出を見て、さらに美術館で人間の歴史を眺めてみたいという。美術作品を通して、人間の魂を探りたいのだ。そして夜には、すでに認識の上では「見た」ことのある映画や芝居を、本当に見てみたいというのである。
3日目、再び雄大な日の出から始まり、ニューヨークという活気ある街とそこで働く人々に目を向ける。橋・ボート・高層ビルを見て、ウインドウ・ショッピングを楽しむ。そして夜は、再び劇場で人生ドラマを楽しみたいという。
ヘレン・ケラーのこの切ない願いを知って、みなさんはどのようにお感じだろうか。私は、泣けて仕方がなかった。自分が五感で何も感じていないことを心から深く反省した。私たちは、3日間といわず、何日間でも目が見えるのである。見えることが、かえって見えることの素晴らしさを忘れさせていることは事実だろう。しかし、せっかく見えるのである!聞こえるのである!このことに素直に感謝し、上司や先輩の、部下や後輩の、何よりお客様の顔をもう一度見てみよう。声をもう一度聞いてみよう。もう一度、すべてのことを感じてみようではないか。