平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #106

「平のマネジメント」~「万人の幸福のため」に、思いを馳せたことがあるか?

 

龍馬もカエサルも平和主義者だった。
「龍馬は中岡慎太郎とともに慶應3(1867)年11月15日の夜に暗殺されたが、殺される前、二人は刀を遠ざけて話し合っていた。二人とも、武力倒幕派と共和体制派の両方に命を狙われていたのに、なぜか。
実は、宿の主人が龍馬を心配して隠れ梯子のついた裏の蔵に入れておいたのだが、この夜の龍馬はたまたま風邪を引いていた。そのため、寒いと言って母屋に出てきてしまった。そして中岡と議論を続けているうちに、使用人に「シャモを買ってこい」と命じ、使いに出したのだ。
このとき、二人は激論を交わしていた。勝海舟や横井小楠らの平和路線に強い影響を受けていた龍馬は、武力倒幕に反対だった。戦争によって国内体制を整えるのではなく、むしろ有力な大名や人材を集めて一種の共和国を創ろうとしていたのである。一方の中岡は、あくまでも武力倒幕という国内戦争を起こさずに国内統一は不可能と考えており、二人とも殺気に満ちた激論を交わしたのだ。そこで、龍馬は笑いながら「刀を傍らに置くと、お互いに何をするかわからない。刀を遠ざけて話し合おうじゃないか」と提言し、中岡もこれに応じた。
二人は刀を手の届かない床の間に置いたわけだが、これが命取りになった。武士としては油断に他ならないが、この龍馬の平和的態度が「薩長同盟」や「大政奉還」などの奇跡を実現したことも事実だ。
また、カエサルがローマの城壁を壊したことは有名である。古代から中世ヨーロッパでも中国でも都市とは城塞のことであり、外敵から市民を守るための城壁は不可欠なものとされていた。それを取り壊したのである。
作家の塩野七生氏によれば、カエサルは、城壁が人々の心に「内」と「外」の区別を生み出すと考えたのだという。そこで彼は常識破りの城壁撤去により、「都市国家ローマの時代は終わった」と内外に明らかにした。それは同時にカエサルの「平和宣言」でもあった。すなわち、新しいローマにおいては首都防衛を考える必要はないほどに平和になるのだという決意表明である。事実、この後、ローマは300年にわたって「城塞なしの首都」として存在し続けた。いわゆる「ローマによる平和(パクス・ロマーナ)」の時代が到来したのである。
真のリーダーとは、つねに万人が幸福に暮らせることを理想とする。理想主義者である彼らが平和主義者でもあることは当然かもしれない。それゆえ、自身の危機管理がおろそかになるという弱点も持つ。事実、龍馬もカエサルも暗殺された。しかし、民衆は彼らがもたらしてくれた平和によって、幸せに生きることができたのである。