平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #096

「過のマネジメント」~過失は責任転嫁せず、心から謝罪すべし

 

誰でも過失を犯す。失敗しない人間などいない。孔子もドラッカーもその点はよくわかっていて、「過ちを犯すな」とは決して言っていない。むしろ、人間が過ちを犯すことはやむを得ないことであり、むしろ犯した後の行動が大切であるとしている。
絶対に犯してならない過ちもある。それはプロが知っていて害をなすことだ。これはプロにとって最大の責任であり、古代ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にも「知りながら害をなすな」という言葉で明示されている。ドラッカーは、この言葉こそプロとしての倫理の基本であり、社会的責任の基本であるとした。
孔子は、本当の過ちについて述べている。『論語』の「衛霊公」篇には、「過ちて改めざる。是れを過ちと謂う」という言葉が出てくる。「過ちをしても改めない。これを本当の過ちというのだ」の意味である。また「学而」篇には、「過てば則ち改むるに憚ること忽なかれ」という言葉もある。「過ちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ」というのだ。
『論語』には「過」という言葉がたくさん登場するが、過ちを犯した後の態度は小人と君子では違うという。「子張」篇に「小人の過つや、必ず文(かざ)る」とある。「小人が過ちをすると、必ず飾ってごまかそうとする」というのだ。一方で同じ「子張」篇に、「君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや人皆なこれを見る、更むるや人皆なこれを仰ぐ」という言葉もあります。「君子の過ちというものは日食や月食のようなもの。過ちを犯すと一目瞭然なので、誰もがそれを見るし、改めると誰もがみなそれを仰ぐ」というわけだ。
このように過失を犯してしまったら、決してごまかしてはならない。そして、反省した上で二度と同じ失敗を繰り返さないことが重要である。
ただ、失敗には「成功のもと」とか「成功の母」という一面があることも事実だ。
「失敗学」というものを提唱している工学者の畑村洋太郎氏は、著書『失敗学の進め』(講談社)で次のように述べている。
「失敗はたしかにマイナスの結果をもたらすものですが、その反面、失敗をうまく生かせば、将来への大きなプラスへ転じさせる可能性を秘めています。事実、人類には、失敗から新技術や新たなアイデアを生み出し、社会を大きく発展させてきた歴史があります」
人は行動しなければ何も起こらない。世の中には失敗を怖れるあまり、何も新しい行動を起こさない人が多い。確かに、それで失敗を避けることはできるだろう。しかし、アクションを起こさない者は何もできないし、何も得ることができないのである。
ドラッカーも、失敗が機会の存在を教えてくれるという考え方の持ち主で、『イノベーションと起業家精神』(ダイヤモンド社)で次のように述べている。
「予期せぬ失敗の多くは、計画や実施の段階における過失、貪欲、愚鈍、雷同、無能の結果である。だが慎重に計画し、設計し、実施したものが失敗したときには、失敗そのものが、変化とともに機会の存在を教える」(上田淳生訳)
さて、失敗しても次なる成功への学びにしてしまえばいいが、その失敗や過失によって迷惑をかけてしまった相手にはお詫びをしなければならない。つまり、「謝罪」が必要になる。
ここ数年というもの信じられないような大企業の不祥事が相次ぎ、企業トップが謝罪する光景をテレビでよく見る。しかし、はっきり言って、みな謝り方のなんと下手なことか。まったく「申し訳ない」という意識が伝わってこないものばかりだ。
ビジネスコンサルタントの山﨑武也氏によると、以前、ある会社の管理下にある建物のなかで、設備の一つがうまく作動しなかったために事故が起こったという。そのため客の一人の命が奪われたのだが、そのときの記者会見で担当役員が言った言葉は信じられないものだった。「このようなことになって、ショックを受けています」と言ったのである。
そのような事態になることは予測しておらず、ショッキングであったことは当然だ。しかし、そこには設備は自社のものであっても、それを製造したメーカーに事故の責任があると考え、責任を転嫁しようとする心理が見て取れる。そのメーカーを被害者に見立てて、自分たちも被害者側に立とうとしたのだろうが、結局は亡くなった人の遺族の怒りを買い、マスコミにも厳しく批判された。山﨑氏によれば、自分の所有ないし利用しているものの機能不全のために人に害を与えたときは、自分は加害者であるという明確な意識の下に、徹底的に責任を取る姿勢を示す必要があるという。それに、死亡事故が起こったにもかかわらず、担当役員が記者会見するという逃げ腰も情けない。当然ながら、最高責任者の社長が出てこなくてはならない。
社長が即座に出てくれば、全社一丸となって謝罪し、今後の対策を図ろうとするメッセージが伝わるが、社長以外の者ではかえって不信感を与えるだけだ。そのような社長に限って、企業として脚光を浴びるようなことがあると、その手柄を独り占めするべく前面に出てくる。そのような社長は人から尊敬されたり、信頼されたりすることはない。
勇将の下に弱卒なしであるように、弱将の下に有卒なしである。上が逃げ腰で無責任なら、下もそうなる。そもそもどのような場合であれ、問題が起こったときは、関係していた人で100%責任がないという人はいない。無理やり自分の非を見つけ出し、その点について誤り責任を取る姿勢を示すべきである。自分に少しでも悪いところがあれば即座に謝る人は、自分の言動の隅々にまで気を配っている人であり、人から信頼を得るのである。