平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #107

「等のマネジメント」~差別されたことがあるか。その汚い経験を味わえ

 

龍馬もカエサルも平等主義者だった。
龍馬は、女性の職業・容貌・知能、その他もろもろに対して、いっさい差別しなかったという。女性をつねに一人の人間として尊重し、志を共有する同志として見なしていた。だからこそ、千葉さな子も、寺田屋お登勢も、お龍も、その他にも多くいたであろう女性たちはみな、龍馬に深い愛情を注ぎ、渾身の協力を惜しまなかったのである。龍馬自身が商家の出身で郷士という下級武士であった。つまり身分が低かった。それもあってか、彼は何よりも差別を嫌い、女性のみならず、あらゆる人々に等しく接した。
「アメリカでは、馬の口取りが将軍や大名を選ぶ」という選挙の存在を知り、龍馬は人民平等思想を知る。これに深く共感した彼は、後に土佐藩の後藤象二郎に、「アメリカでは薪(まき)割り下男と大統領と同格であるというぞ。わしは日本を、そういう国にしたいのじゃ」と語った。平等主義者の龍馬がつくった海援隊には、「長」と名のつく役職は一つもない。幕府の身分制度や階級をそのまま踏襲した新撰組とは対照的である。
また、龍馬は、「世に活物(いきもの)たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし」との言葉を残している。「この世の中の生きものというものは、人間も犬も虫もみな同じであり、上下などない」という意味だが、これは幕末の当時にあって、とんでもない過激思想であったと言える。司馬遼太郎は、この龍馬の言葉から、ルソーの『社会契約論』に出てくる「人は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているような者も、実はその人以上に奴隷なのだ」という有名な冒頭の言葉を思い出したと述べている。
カエサルの平等主義は、ローマ市民権の拡大に示された。彼は、それまで「アルプスのこちら側(チザルピーナ)」と呼ばれ、ローマ市民から外国人扱いされていたアルプス以南のイタリア人、次にローマで仕事をするすべての医師や教師、さらには、最近まで彼自身が敵として戦っていた「蛮族」のガリア人の指導者たちにまで市民権を与えたのである。
ローマにおいて市民権を持つことは、人種や民族や宗教を超えて、ローマの市民と同等の権利を与えられるということだ。すなわち、ローマの法によって、その人物の私有財産と個人の人権は守られるということを意味したのである。これを平等と言わずして、何を平等と言うのだろうか。カエサルの前には、「征服者」も「被征服者」もなかった。
龍馬が「日本人」を、カエサルが「ローマ人」を愛していたことは間違いない。しかし彼らの視線の先には「人類」があったと思う。いま、「格差社会」だとか「不平等社会」だとか叫ばれているが、リーダーとされる人々の中にはそれを当然のこととして認めている者もいる。とんでもないことだ。リーダーとは、つねに平等主義者でなければならない。