平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #051

「用のマネジメント」〜人間の心を知らねば、人は使えない

 

人使いということに関しては、やはり中国の古典のなかに至言が多い。例えば、『老子』には、「善く人を用いる者はこれが下となる」とある。人使いの名人は相手の下手に出るのだという。また老子は、力を誇示したり乱用したりせず、どんな相手にも謙虚な態度でへりくだる「不争の徳」を持てば、逆にリーダーとして人に立てられると主張した。
『通俗編』には、「疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ」とある。「疑ったら使うな、使ったら疑うな」の意味だが、人使いの真髄だろう。信頼のおけない人間は初めから登用するな、これはと見込んで登用したら、とことん信頼して使えというのである。
わが国における人使いの名人といえば、まず徳川家康の名が思い浮かぶ。家康は、常にこういうことを言っていたという。
「人材の用い方は、まずその人間の長所を取らなければならない。これは、良い医者が薬を用いるのに似ている。下手な医者は、病人の病状にお構いなく、やたら薬を調合するが、これは間違いだ。良い医者は、病状に合わせて、最も効く薬を少量調合する。人の使い方も同じである」
「人間には、それぞれ耳の役、口の役、鼻の役を果たすような機能がある。長所短所があるし、能力も違う。鷹は空を飛ぶからこそ鷹であって、鵜は水に入るからこそ鵜である。鵜に空を飛ばせ、鷹に水をくぐらせるのは愚である。しかし、そういう使い方をする上役が多いのは悲しむべきことである」
「人を用いるときに、ふたつのことを注意すべきだ。ひとつは、賢を尊ぶことである。もうひとつは能を生かすことである。生まれつき、謙虚な忠誠心を持って主君に奉公し、ものに接しても寛容温厚で自分の才能を鼻にかけない、聡明で事務に熟達する者は、仕事を任すべきである。これが賢を尊ぶということである。また非常に優れた才能を持っている人材がいるとする。しかしその行動は必ずしも立派ではない。しかし、それを抜擢して使うべきである。それが能を使うということだ。能を持つ人間は、得てして驕りたかぶり、人格的にも問題が多いが、そういうことを気にせず大いに登用することが必要であろう」
家康は、この言葉を実践した。本多正信は鷹匠から、大久保長安は能楽師から登用された。本多は、徳川幕府草創期の優秀な国家経営者となり、家康を助けた。大久保は優れた民政家となった。日本の鉱山を発掘し、家康に日本中の金銀を献じたのも大久保である。
家康は偉大な人間通であったと言える。