平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #009

「悌のマネジメント」〜兄弟の結束ほど強い絆はない

 

私には弟が一人いる。兄と違ってきわめて優秀な弟で、現役で合格した東大法学部を卒業した後は、大手の都市銀行に入って働いていた。現在は同じ会社にいる。私が社長で、弟は社長室長である。年齢が6歳も離れていることもあり、子どもの頃からほとんど喧嘩はしなかったが、性格は同じ両親の子とは思えないほど正反対だ。
よく、同じ会社に兄弟がいるのは良くないという人がいる。必ず対立して、会社がおかしくなり、結果として社員を不幸にしてしまうというのである。なるほど、それを実証するような事例はいくらでもある。古くは源頼朝と義経から、最近の若貴まで、日本人はとにかく兄弟を対立構造で見るのが好きだ。
しかし、私は非常に弟を頼りにしている。私が広告代理店出身で企画・営業向きだとしたら、銀行出身の弟は財務・管理向きで、それぞれの足らない部分をうまく補い合っていると思っている。でも、私のほうが助けられることが圧倒的に多い。心から、自分には過ぎた弟だと思う。いつまでも一緒に仕事ができたらいいと心から願っている。
兄弟が一緒に働くような会社を「同族企業」という。じつは、ドラッカーは「同族企業のバイブル」と呼ばれる本を書いている。『未来への決断』上田惇生+佐々木実智男+林正+田代正美訳(ダイヤモンド社)がそれで、1995年に日米で同時発売された。
世界中において、ほとんどの企業が同族企業であることはよく知られている。
同族経営は中小企業に限定されない。デュポンのような世界最大級の企業もある。1802年の創業以来、同社は1970年代半ばまでの170年間、同族所有、同族経営のもとに世界最大級の化学会社へと成長した。200年前、主要国の首都に息子たちを配した無名の両替商ロスチャイルド家が所有する金融機関は、今日も依然として世界有数の大銀行である。
もちろん、同族企業と他の企業の間に、研究開発、マーケティング、会計などの仕事で違いがあるわけではない。しかし経営陣に関しては、同族企業にはいくつかの守るべき重要な留意事項があると、ドラッカーは述べる。それらを守ることなくしては、繁栄するどころか生き残ることもできないというのである。
第一に、同族企業は、一族以外の者と比べて同等の能力を持ち、少なくとも同等以上に勤勉に働く者でないかぎり、一族の者を働かせてはならない。
第二に、一族の者が何人いようと、また彼らがいかに有能であろうと、トップマネジメントのポストの一つには必ず一族以外の者を充てなければならない。その好例が、専門的な能力が大きな意味をもつ財務や研究開発担当のトップである。
第三に、生産、マーケティング、財務、研究開発、人事に必要な知識や経験はあまりに膨大である。ゆえに同族企業は、重要な地位に一族以外の者を充てることをためらってはならない。
この三つの原則を忠実に守っていても、問題は起こる。特にトップの継承をめぐって起こる。一族の事情が企業の事情に反するわけである。
したがって第四に、継承の問題について適切な仲裁人を一族の外に見つけておかなければならない。まさに、同族企業の関係者にとっての金言であると言えるだろう。
さて、兄弟の話に戻すが、兄弟がともに働く同族企業でも経営が順調な会社は多く存在する。その場合、兄のほうが弟を気遣っているケースが多いように思う。儒教における兄弟愛としての「悌」はとかく兄に対して弟が敬意を抱くことの大切さを謳っているようだが、実際は少し違うのではないだろうか。というのも、『論語』の「子罕」篇には、「後生畏るべし」という有名な言葉が出てくるからだ。「後生」というのは「後から生まれた者」という意味である。ちなみに、「先に生まれた者」は先生という。
「後生」とは若者とか後輩の意味もあるが、その字のとおりに弟や妹の意味もある。思うに、孔子は兄は弟に、姉は妹に、そして先輩は後輩に敬意を表し、思いやりを忘れないことを説いているのではないだろうか。なぜならば、そのほうが人間関係がうまく行くからである。
弟が兄に、妹が姉に、後輩が先輩に気を遣うのは、いわば当たり前の話である。もともと先に生まれているのだから。知識も経験もかなうはずがない。最初から年少者は年長者のことを立てざるを得ないのである。しかし、いつもそれでは窮屈で、息がつまる。たまには、上の者が下りてきてフランクにつきあうことが必要だ。また、年少者はいつも気を遣ってくれていることを意識して、そのことに感謝し、思いやりをかけることを忘れない。それでこそ、本当の意味での兄弟愛は成立するように思う。
もともと同じ親から生まれて、同じ環境で育ってきたのだから、兄弟は考え方に共通するものがある。一緒に力を合わせれば、これほど心強い味方はいない。
兄がトップリーダー、弟がナンバー2という事例で知られるのが豊臣秀吉・秀長兄弟である。秀吉は頭の回転が早く、しかも「はげねずみ」とか「サル」といったあだ名からもわかるように、ちょこまか動き、動きながら考えるタイプで、少しおっちょこちょいのところがあるといった印象を与える。それに対し弟の秀長は、じっくりタイプで鷹揚に構え、熟考してから動き出すような男だった。秀吉がアクセルを踏んでぐんぐんスピードを出していくタイプだったのに対し、秀長はブレーキ役を務めていたという。このアクセルとブレーキの絶妙なコンビネーションによって、豊臣政権という大きな車はうまいぐあいに進んでいたのである。