平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #081

「弱のマネジメント」~自分の弱さを容認し、弱さに徹する

 

時代の激動期に企業や組織を対応させていく場合、その改善・改革に3つの型がある。すなわち、古い経営方法の破壊、新しい経営方法の創造、すぐれた経営方法の維持の3つである。この3つの組み合わせで、そのときどきの社会のニーズに合った企業運営が行なわれる。そして、戦国時代の武将の組織や管理方法をこれに当てはめてみると、古い経営方法の破壊は織田信長型、新しい経営方法の創造は豊臣秀吉型、すぐれた経営方法の維持は徳川家康型となる。
もちろん3人はそれぞれ、3つのいずれの方法も展開した名経営者だが、そのなかでも際立っていたのが、信長は破壊、秀吉は建設、家康は維持管理の部分である。このなかで最も重要なのは、やはり新事業の建設だ。秀吉は、この建設の主力を現場の人々に置いた。
そのために現場の人間のやる気を高めることに異常な努力をした。特に「気配り」には抜群のエネルギーを注ぎ、大きな効果をあげた。
秀吉自身が貧しい農家の出身であり、子どものときから大変な苦労をした。完全に社会的な弱者であった。自分が苦労した弱者であったから、弱者の苦労がよくわかる。どこを押せば他人が痛がり、あるいは喜ぶかを熟知した稀代の「人間通」だった。その人間通は、司馬遼太郎をして「人間界の奇跡」と言わしめた成功者となったのである。信長に小便までかけられた一介の草履取りが、ついには天下人にまで上りつめたのだ。
秀吉と並ぶ「人間界の奇跡」が、一代で世界の松下電器をつくり上げた松下幸之助である。世界企業の創業者は他にもいるが、彼はとにかく度外れた社会的弱者であった。それまでは素封家だったが、小学四年生のときに父親が米相場に手を出して失敗、10人いた家族は離散し、極貧ゆえに次々に死んでゆく。とにかく貧乏で、病気がちで、小学校さえ中退した。この「金ない、健康にめぐまれない、学歴ない」の三ない人間が巨大な成功を収めることができたのは、自分の「弱さからの出発」という境遇をはっきりと見つめ、容認したからではないか。
貧乏なゆえに商売に励んだ。体が弱いゆえに世界的にも早く事業部制を導入した。学歴がないゆえに誰にでも何でも尋ねて衆知を集めた。彼は、自分の弱さを認識し、その弱さに徹したところから近代日本における最大の成功者となったのである。
偉大なり、松下幸之助。彼こそは、弱さをマネジメントした人であったのだ。