平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #119

「兵のマネジメント」~私がリーダーに『論語』を薦めるワケ

 

ビジネスマンの間で『孫子』などの兵法書があいかわらずの人気のようだが、元来、真のリーダーは儒教書を読むべきであり、兵法書などは参謀の読むものとされた。日本における帝王学の第一人者・安岡正篤によれば、兵法は、いわゆる戦略戦術というよりも、政治戦・謀略戦の側面が強いという。そもそも戦争には兵戦と政戦、軍隊を動かす戦争と、それに伴う謀略戦というものがある。謀略戦とは政治戦のことだ。
『孫子』『呉子』『六韜三略』といった兵法書を読んでも、もちろん兵書だから兵戦のことも書いてあるが、それ以上に政治戦・謀略戦のことが書かれてある。そもそも『孫子』には、「兵は詭道なり」と書かれてある。また、「兵は詐を以て立つ」とも言われている。「詭道」とは、人を欺くようなやり方、正しくない手段という意味である。「詐」とは、いつわること、あざむくことである。
これが兵法の本質であり、あらゆる兵法書に通じる原則なのだ。
唐の太宗といえば、中国史の中でも最も偉大な天子として知られる。その太宗と家来の李靖とのやりとりを記録した『李衛公問対』という兵書がある。その中で太宗は堂々と「わしはあらゆる兵書を勉強したが、要するに相手を詐をもって誤らしめる、あらゆる手段で錯誤に陥れる、この一語で十分だ」と語っている。
中国にはこうした文献が多くあるが、それらを見ると、中国の政治、あるいは戦争、政治戦の実体が本当によくわかると安岡正篤は述べている。日本の戦国武将もこれらの兵法をずいぶん研究した。日本ではこれを軍学と称し、山鹿素行や武田信玄も取り入れた。しかし本家の中国では、権謀術数の歴史過程を経て、やがて春秋戦国の時代に入ると、しからばいかにしてこれと対応するかが問題にされるようになってきた。そうして、兵学、つまり戦術・戦略・政戦・政略にだまされたり、もてあそばれたりしないと同時に、これを圧倒してゆくものは、結局のところ道徳しかない、となったのである。
いかなる権謀術数も、やはり人間である以上、最後は「人の道」に勝てない。こういう結論に中国の為政者は到達したのだ。そして、修身・斉家・治国・平天下の道義的思想・学問・教養・人物を養うことを第一義として発達させたのが儒教なのである。前漢の武帝や後漢の光武帝は儒教を国教とした。日本史上最も成功したリーダーと呼んでもよい徳川家康は、『論語』をはじめとした儒教書も、『孫子』をはじめとした兵法書も、ともに愛読していたという。兵法に思想や哲学がないことを見抜き、それを儒教で補った家康のバランス感覚には恐れ入る。
ちなみに私は、『論語』こそ、最強の兵法書だと信じている。「逃げるが勝ち」ではないが、もともと戦いを招かないことがベストな方法であり、そのためのノウハウが『論語』には豊富に紹介されているからである。