「弁のマネジメント」～情熱あふれる弁舌は、人の心を動かす

西欧社会では一貫してリーダーには弁論の才能が求められた。古代ローマには、キケロとカエサルという演説の名手が二人いたことで知られる。二人は文章も一流だったが、演説も一流だった。
カエサルの名言は、「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」など後世にも伝えられているものが多いが、知識人受けするキケロの演説とは違って、カエサルの話は誰が聴いても強烈な印象を受けたという。塩野七生氏の『ローマ人の物語Ⅴ』には、ポンペイウスとの内戦が終わった後、カエサル軍団兵たちがボーナス要求のストライキを行なう場面が出てくる。
最初はカエサルの名代としてアントニウスが出向き、説得に当たった。しかし、兵士たちは聞き入れない。そこにカエサルが到着した。
彼はまず、「戦友諸君、わたしは諸君から、愛される司令官でありたいと願っている。わたしほど諸君の安全を気にかける者もいないし、経済的に豊かになるよう配慮を忘れないし、戦士としての名誉が高まるように望んでいる者もいない。しかし、だからといって兵士たちに、何でも勝手を許すということにはならない」と短刀直入に切り出し、水を打ったように沈黙したままの兵士たちに向かい、はっきりと「要求の受け入れは拒否する」と言ったのみならず、「十分の一刑」までを言い渡した。
抽選で十分の一の人数を選び、残りの十分の九が棒で殴り殺すという最高の重罪である。ただし、「刑の執行は延期する。諸君の顔を次のブリンディシで見いだすかどうかは、諸君次第である」と言い放って帰っていった。
スト中の兵士たち全員がブリンディシに向かったことは言うまでもない。そして、「十分の一刑」のほうは、うやむやに終わった。塩野氏は、カエサルは語りかける相手やその状況にあわせて、適切な演説ができる人であったと述べている。
一方、日本では、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読むと、勇武を尊ぶ薩摩の士風がいかに弁というものを嫌ったかがよくわかる。
薩摩の少年は「ギ（議）を言うな」と厳しく教え込まれた。学問を身につけすぎると議論の多い人間になったり、自分の見苦しい行動の弁解の道具になるとして、多弁を恥じた。「見ればわかる。言うも聴くもなか」というようなコミュニケーションが理想とされた。
私たち日本人は、もっと「弁」を重んじるべきである。そして、政治やビジネスをはじめとしたあらゆる場面において、もっと「弁」を活用すべきであると思う。
上手、下手は二の次だ。大切なのは弁の内容である。そして、その内容を訴える情熱である。やむにやまれぬ思いから発した、情熱あふれる弁舌は、必ずや人の心を動かすものを持っている。