平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #111

「策のマネジメント」~「先を読む」とは、成果を得ることをいう

 

「策士、策に溺れる」の言葉のように、どうも「策」という言葉にはネガティブな印象がある。しかし、リーダーにとって、策は必要なものだ。常に、何か問題が発生したら、すぐさま対策を立てなければならない。つまり、策を講じなければならないのである。
古代中国には壮大な「策」の体系が存在した。それをまとめた書物を『戦国策』という。中国史の戦国時代とは、秦の始皇帝が天下を統一するまでの約180年間をいう。「戦国の七雄」と呼ばれた7つの国によって、血みどろの争覇戦が展開された時代である。戦国時代といっても、文字通り戦(いくさ)に明け暮れた日本とは違い、中国の場合、武力抗争のみならず活発な外交合戦が繰り広げられた。
当時の外交戦略を総称して「合従連衡」というが、このような外交を推進したのが、現代の経営コンサルタントにも相当する「説客」と呼ばれる人々で、それぞれに秘策を各国の王に説き、王の意向で政策の実現に当たった。彼ら「説客」たちの発言やエピソードを記録したものが、『戦国策』なのである。だから、現代にも通用する普遍的な「策」のオンパレードで、その中には、「百里を行く者は九十を半ばとす」とか「鶏口となるも、牛後と為(な)るなかれ」などの有名な言葉も多い。
日本において史上に名を残す「策」といえば、坂本龍馬の「船中八策」が思い浮かぶ。幕末の慶応3(1867)年、長崎から京都に向かう船中で、龍馬が海援隊員である長岡謙吉に筆記させて後藤象二郎に示したといわれる新国家体制論である。大政奉還を前提に、議会開設・官制刷新・外国交際・法典制定・海軍拡張・親兵設置・貨幣整備など八カ条を提唱したものだ。後藤は雄藩連合に道を開くこの龍馬の八策に賛成し、京都でこれを高知藩の藩論とすることに決め、西郷隆盛らと会談のうえで薩土盟約を結び、大政奉還の方針を内外に明らかにした。
作家の童門冬二氏は、龍馬の偉大さについて、「勤皇か佐幕か、あるいは開国か攘夷かという国論分裂の中にあって、革命に至る戦略構想と、革命後の政体についてのプログラムを持っていたこと」だと、著書『坂本龍馬 人間の大きさ』で述べている。そのプログラムこそ、「船中八策」であった。先のプログラムもなく、ただ倒せばいいというような感情的な倒幕ではなかった。しかも、それを龍馬は絶妙のタイミングで示したのである。
龍馬の大いなる「策」が、人類史上の奇跡と呼ばれた社会的イノベーションとしての「明治維新」実現を呼び込んだと言っても過言ではない。龍馬こそ、日本史上最高の策士であった。
相次ぐ企業の不祥事を見てもわかるように、その場しのぎの思いつきで有事に対応すれば、さらに傷口を拡げて、取り返しのつかない事態になる。それで自滅した企業がどれだけあったことか。真の「策」とは、囲碁や将棋の名人のごとく、数手、いや数十手先まで見通して、打たねばならない。そして、龍馬のように絶妙のタイミングで打たねばならないのである。