平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #104

「狂のマネジメント」~ひとりの狂者が世界を変える

 

日本におけるイノベーションの成功例は「プロジェクトX」などで紹介されている。番組の見ていて気づかされるのは、画期的な新商品を開発した人々がほとんど「狂」の境地に到達していることである。ゴルフでも、シングル・プレーヤーになるには一年くらいは狂ったように練習しなければならないなどと言われるが、熾烈なビジネスの世界でイノベーションを起こすのに必要なエネルギーは並大抵ではなく、当然ながらゴルフの比ではない。
国家レベルのイノベーションは、レボリューションと言われる。革命だ。日本の明治維新は世界史的に見ても、さまざまな意味で奇跡的な革命と呼ばれるが、そのスイッチャーとなったのは長州の吉田松陰、そして彼が主催する松下村塾の人々だった。松陰は、志とは、どんなに邪魔が入っても、打ちのめされても、孤立しても、それでも貫かねばならないものだと考えていた。そのためには、たとえ「狂」のそしりを受けても構わないのだ。
「狂」は崇高な境地である。変革を望み、志を胸に時代の先端に立ち続ける者たちの言動は、必ずしも周囲に理解されるわけではない。いや、まず理解されないのが自然である。
松陰および門下生は、当時は「志士」ではなく、「乱民」と呼ばれ、周囲から白眼視されたそうだ。松陰は、絶大な権力である徳川幕府を激しく批判する、あるいは老中など権力者の暗殺を企む、きわめて危険な「乱民」なのだった。
当然、松下村塾に息子が通うのに、反対する親は多く、松下村塾に通っているというだけで、当人はもちろん、家族までが「乱民」として近所から村八分に遭ったという話も残っているほどだ。言うなれば、当時の松下村塾とは現代のアレフ(オウム真理教)のごとき危険きわまりない反社会的テロ集団だったわけである!ショーインはショーコーだったのだ!もちろん、私はオウムを擁護しているわけではまったくないから誤解なきように。
さて、それほど松下村塾は周囲から理解を得られなかった。それでもなおかつ、誰にも理解されないものを、純粋な心をもって真剣に見つめ、進んでいるからこそ先覚者なのだ。最初から誰からも理解され、支持されている先覚者など、ありえない。
『松陰と晋作の志』の著者である一坂太郎氏は、その厳しい宿命を、松陰たちは「狂」の境地に達することで受け入れたのだと述べている。人々は、先覚者を先覚者とは気づかずに、狂っていると考える。そんな周囲の雑音に惑わされ、志を曲げないためにも、先覚者は自分が狂っているのだと、ある種開き直る必要があったのである。先覚者を気取り、変革、改革を連呼して支持率を上げようとする現代の政治家とは、根本が違うのだ。
松陰の影響もあり、幕末長州の若者たちは、好んで自分の行動や号に、「狂」の文字を入れた。彼らの遺墨を見ると、高杉晋作は「東行狂生」、木戸孝允(桂小五郎)は「松菊狂夫」などと署名している。慎重居士の代表のように言われる山県有朋でさえ、幕末の青年時代には「狂介」と称していた。
一坂氏の著書では、題名の通りに、松陰と晋作の志が情熱的に語られている。松下村塾にも、志があった。過激な言動が祟り、再び獄に繋がれることになった松陰は、門下生たちに漢詩を残して訴えた。
長門の国は日本の僻地である。しかも、松本村は、その僻地の中のさらなる僻地にある。しかし、ここを世界の中心と考え、励もうではないか。そうすれば、ここから天下を「奮発」させ、諸外国を「震動」させることができるかもしれない。
あまりのも壮大な志である。しかし、松本村の小屋に近所の子どもたちを集めて教えているに過ぎない松陰が、こんなことを言っていると、案の定、周囲の者は狂っていると思ったに違いない。どんなに好意的に見ても、若き松陰の青臭い理想でしかない。しかし、この志は現実のものになっていった。「乱民」と呼ばれながらも、「志を立てて万事の根源」とした者たちが、ついに時代を揺り動かしていったのである。
松陰はその晩年、ついに「狂」というものを思想にまで高め、「物事の原理性に忠実である以上、その行動は狂たらざるをえない」とずばり言った。そういう松陰思想の中での「狂」の要素を体質的に受け継いだ者こそ、晋作だった。司馬遼太郎は、「晋作には、固有の狂気がある」と述べている。
そして、その晋作の辞世の歌に題名が由来する司馬の『世に棲む日日』には、松陰に発した「狂」がついには長州藩全体に乗り移ったさまがドラマティックに描かれている。松陰が生きていた頃は、松陰一人が狂人だった。晋作がその「狂」を継ぎ、それを実行し、そのために孤独であった。その晋作の「狂」を、藩も仲間もみなもてあました。
ところが、藩が藩ぐるみで発狂してしまったのである。長州藩一つで、英仏独米という世界を代表する列強に戦争を仕掛けた「下関砲台事件」など、あまりにも馬鹿げた巨大な「狂」以外の何物でもない。しかし、その巨大な「狂」が、人類史に特筆すべきレボリューションを実現したのである。企業においても、イノベーションの実現を真剣に考えるならば、まずは一人の狂人を必要とし、次第に狂人を増やし、最後は企業全体を発狂させねばならない。あの孔子でさえ、表面上「人格者」と呼ばれる者よりも、「狂者」と呼ばれる者に期待すると説いたのである。