妬
「妬のマネジメント」~嫉妬はきつね色に焼くしかない
企業に限らず、組織という人間の集まる場において嫉妬は裂けられない問題である。嫉妬は女のさがであり、男は嫉妬しないという人もいる。たしかに『字訓』を著した漢字学の大家・白川静氏によれば、「嫉」とは疾に通じ、疾病や疾悪という意味につながる。もともとが、その情は「女人において特に甚だしい」ことから、嫉の字を用いたという。「ねたむ」「そねむ」の意味を持つ「妬」も、女偏を持つのは同じことだ。
しかし、男も嫉妬する。古代ギリシャの政治家テミストクレスは「まだ自分はねたまれたこともないところから見て、何一つ輝かしいことはしていない」と語った。しかし、彼はその後、紀元前480年のサラミスの海戦でアケメネス朝ペルシャの海軍を撃破しながら、市民の強烈な嫉妬と反感にあって陶片追放で死刑を宣告され、皮肉なことにペルシャに亡命したのである。
中国では、病的なやきもちを「妬癡」と呼ぶ。唐に時代に李益という男がいた。この人物は自分の妻女を疑い、明けても暮れても苛酷なまでに妬癡したために、男の妬疾の甚だしいことを「李益の疾」というくらいであった。また、男の妬を指すための漢字があったほどである。
この点でいえば、むしろ男の嫉妬の方が始末におえないのかもしれない。たしかに、自分が他人より劣る、不幸だという競争的な意識があって心に恨み嘆くことを嫉妬だと考えるなら、古くから仕事の上で競争にさらされてきた男の場合こそ、嫉妬心を無視するわけにはいかない。
そうした一見愚かに見える感情もまた、人間の備えている自然の性質の一部であり、それゆえ無理やり抑えつけてはならないとの人間観を示した人物こそ、松下幸之助であった。
彼は「嫉妬は狐色に焼くのがよろしい」と言っていた。ちょうどせんべいを焼くように、焼きすぎてもいけないし、焼き足らないのもいけない。適度に焼けば、香りが立って、人間性に具合よく味付けできるものである。そういう嫉妬なら反面活力につながるから、むしろ好ましい。それが松下が言いたい要点だった。ベストセラー『人間通』を書いた国文学者の谷沢永一氏は、この「嫉妬は狐色に焼く」を松下幸之助一代の名言であると絶賛している。
私も大学卒業後、入社したばかりの会社から著書を出版したり、業界では最年少で社長に就任した際に得体の知れないストレスを感じた経験上、男たちが狐色の活力で発奮することには大賛成である。