古
「古のマネジメント」~新しいものは古いものから生まれる
安岡正篤は、「真に新しいものは、必ず古いものから生まれるのでありまして、突如として出るものではない」と語っている。
たとえば鎌倉時代に新宗教ができたといっても、道元にしても、法然にしても、親鸞にしても、日蓮にしても、まったく何にもなかったところに初めて彼らの新仏教を開いたのではない。現代の新興宗教にしろ、創価学会、立正佼成会、霊友会といった大手は日蓮宗系が多いが、その日蓮宗とて最も古い経典である「法華経」から出ているのである。幕末維新の人物といっても、これまた徳川300年の儒教、仏教、国学から出ているのだ。真に伝統に立つことによってはじめて、新しい何物かが生まれるのである。
安岡正篤はまた、古典、特に中国古典を読むことを人々に薦めた。中国古典の特徴を一言でいえば「実学」ということになる。実践の場で役に立つのだ。では、どういう点が実学だと言えるのか。まず、応対辞令である。安岡は「中国古典は応対辞令の学問だ」と喝破したが、たしかにこのテーマが中国古典の大きなテーマになっている。応対辞令とは、社会生活のもろもろの場における人間関係にどう対処するか、という対処の仕方である。
第二は、経世済民である。つまり政治論で、これもまた中国古典が好んで取り上げる重要なテーマである。政治論といっても専門的でなく、組織をどう掌握してどう動かすかなど、幅広い応用がきくものが多い。
第三は、修己治人である。つまりは指導者論で、上に立つ者はどうあるべきか、組織のリーダーにはどんな条件が望まれるのかを論じる。これもまた中国古典の得意とするテーマであり、『論語』をはじめ、あらゆる古典がさまざまな角度から指導者像を探っている。
科学や技術がどんなに進歩しても、結局、それを動かすのは人間である。肝心の人間に対する理解を欠いてはならない。また、時代の変化に応じて自分が変わっていこうとする姿勢は大切だが、自分の心棒となるものは決して変えてはならない。心棒まで変えてしまうと、変化に流され、振り回されるだけである。心棒とは揺るぎのない価値観や考え方だ。明確な価値観や考え方があるからこそ、変化に適切に対応して、新しいものを生み出すことができる。こうした価値観や考え方を育てるために古典が役立つのである。ちなみに日産の経営再建を成功させたカルロス・ゴーン氏は、ギリシャ哲学に対する造詣が非常に深いリーダーであるという。興味深い話だ。