選
「選のマネジメント」〜選択と集中で活路は開かれる
「選択と集中」は、ドラッカーが提唱し、GEのジャック・ウェルチが実行したことで知られる。自社の得意とする事業分野を明確にして、そこに経営資源を集中的に投下する戦略である。
企業は、ヒト、モノ、カネといった経営資源を持ち、その資源を事業に投入することで企業活動を行なっている。既存の事業を維持、拡大したり、新しい事業を興すためには投資が必要だ。しかし、言うまでもなく、各企業の持つ経営資源は無尽蔵ではない。
そこで企業は、限られたヒト、モノ、カネを有効に活用するために事業分野の「選択と集中」を行なうわけである。「選択」とは、今後の自社の方向性を決めたうえで注力したい事業を選び出し、それ以外を縮小もしくは売却、外部委託(アウトソーシング)することだ。
また「集中」とは、選び出したコア(中核)となるビジネスに自社の持つ経営資源を集中的に投入することである。
私が2001年に社長に就任した際、最初に実行した経営戦略がこの「選択と集中」だった。本業である冠婚葬祭の事業エリアは北海道の富良野から沖縄の石垣島まで日本全国にまで及んでいたが、それをシェアが1位の地域だけ残して、残りは撤退した。多岐にわたる関連事業についても同様である。この決断で、当社は急速に財務内容が改善され、残した事業の業績もすべて向上した。
「選択と集中」は企業のみならず、個人についても言える。吉田松陰の『松陰余話』のなかに、こんなエピソードがある。まだ10代の頃、松陰が剣道を学ぼうとしたことがある。そこで柳生新陰流の剣術師範である平岡弥兵衛を訪ね、入門を願い出た。驚いた平岡に理由を尋ねられた松陰は、「儒家に生まれたとはいえ、腰間に雙刀(そうとう)を帯ぶる以上は、これを用いる道を知らでは、武士の面目が相立ち申さぬ、しかも心身の練磨を…」と答えた。しかし、体力的に見て剣道が不向きであると思った平岡は、松陰が行なっている教育も剣道も、目的は同じ「人間の完成」にあると松陰を諭した。さらに、不得意なことがあっても、恥じることはない。それを無理してやる時間があるなら、得意なことに費やして社会に貢献する方がよいと述べた。これには松陰も納得し、いっそう教育活動に励み、松下村塾を開いたのである。
人生も「選択と集中」だ。仕事以外に、酒、ゴルフ、マージャン、カラオケ、ギャンブルと何でも趣味をこなす殿方は、自分の得意分野を選んで、それに集中してはいかがだろうか。生きるということは、そもそも選択であり、決断なのである。