平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #025

「誇のマネジメント」〜自分の仕事にプライドを持つ

 

 仕事をする上でもっとも大切なのは、自分の職業に対するプライドではないだろうか。
私の会社は全国で冠婚葬祭業を展開し、一応、業界では大手の一角として認められている。しかし北九州市という製造業中心の街に本社を置いてあるせいか、まだまだ当社のようなサービス業に対する周囲の見方は低く、特に葬祭業についてはいまだにタブー視する者も多い。私は心の底からサービス業、それも冠婚葬祭業ほど価値のある仕事はないと確信しているので、周囲の偏見に触れた時はとても悔しい思いをする。そんなとき、いつも思い起こすのは坂本龍馬のことである。
明治の新政府メンバーを選ぶとき、龍馬が岩倉具視や西郷隆盛に、
「私は政府高官にならず、世界の海援隊をやりたい」
と言ったのも、決して負け惜しみでも冗談でもなかったと思う。本心で彼はそれを考えていたはずだ。作家の童門冬二氏によれば、海援隊というのは龍馬の商人的発想に基づく、いわば一種の密輸艦隊だったが、龍馬は決してそうは思わなかったという。その運輸射利の底に、自由人の連帯によって、市民のための政治を実現するきっかけとなる集団が、すなわち海援隊であるという誇りがあったのだ。そして、それまで人々から、特に武士階級から卑しめられてきた「射利、投機に正式な市民権を与えた」という自信が彼にあった、と童門氏は述べている。
言わば、竜馬の思想と行動の軌跡は、すべて、不当に評価され、差別され、疎外され、抑圧されているものを解放するところに目的があったのだ。特に、商行為に対する蔑視、すなわち、徳川幕府が「士農工商」として貫き通してきた重農主義を捨てて、重商主義を加味するという、政策転換に彼の大きな行動目標があったことは事実である。
これはもちろん、龍馬の生家が大商人であったということも大きく影響しているだろう。しかしそれ以上に、彼の心を支配していたのは、不当な差別や偏見に対する怒りであり、それこそ彼の全生涯の全生命を燃焼して実行していった目標であった。そういう観点に立って、龍馬は「誇りをもって金を儲ける」という商業哲学を日本に確立したのである。
同じように、澁沢栄一なども「論語と算盤」というキャッチフレーズをもって、商業人にプライドを与えたと言える。
私は坂本龍馬や澁沢栄一が商業哲学を確立したように、冠婚葬祭哲学というものを確立したいと本気で思っている。そして何よりも価値のあるこの仕事に携わるすべての人々に誇りを持っていただきたいと強く願う。